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    スクールデイズ

    学生25年 一つも無駄なし…新垣勉さん

    聞き手・石川純

    テノール歌手

    • 林陽一撮影
      林陽一撮影

     沖縄・読谷よみたん村で生まれ、父は米国軍人、母は日本人でした。

     出産時に誤って家畜用の薬で目を洗われ、失明しました。父は1年で帰国、母は再婚し、私は祖母のもとで、母を姉と教えられて育ちました。祖母の口ずさむ琉球民謡やラジオの音楽が私の原点です。

     小学校から高校までは、那覇市内の盲学校で寮生活を送りました。勉強嫌いで、点字を覚えるのが遅く、小2を2回経験しました。好きな音楽は勉強したくても当時、視覚障害者用のテキストや音楽教室もありません。見えないことへの歯がゆさを感じていました。

     中2の時に祖母が亡くなり、周囲から両親の話を聞きました。「なぜ目も見えず、親もいないのか」。憎しみを募らせ、井戸に飛び込んで死のうとしたこともあります。でも、死にきれませんでした。

     ラジオでかかる賛美歌をじかに聴きたくて、高1の夏休みに近所の教会のキャンプに参加しました。牧師に「米国の父をやっつけたい」と打ち明けると、何も言わずに一緒に泣いてくれました。私のために泣いてくれる人がいることに勇気づけられました。

     高校では鍼灸しんきゅうの資格を取るコースしかありませんでしたが、音楽をあきらめきれませんでした。東京キリスト教短期大学(現・東京基督教大)の神学科に入り、三谷幸子先生(故人)に出会い、声楽のレッスンを受けたのが初の本格的な音楽の勉強でした。

     福岡市の西南学院大神学部を卒業後沖縄に戻り、教会や病院、学校で歌い、布教する巡回伝道師を務めました。巡回先では鍼灸の患者を集めてもらい、治療費を旅費にしたこともありました。

     声楽を基礎から学ぼうと、武蔵野音大声楽学科に入学したのが34歳の時。大学院まで進みました。結局、小学校から大学院まで計25年間、学校に通いました。こんな勉強嫌いな人間が、こんなに長く勉強するなんてわからないものですね。鍼灸も含め、これまで学んだことは、一つも無駄がなかったと思っています。(聞き手・石川純)

    プロフィル
    あらがき・つとむ
     1952年生まれ。2001年にCDデビュー。クラシックやポップス、アニメソングなど幅広く手掛ける。音楽活動を始めて35周年を記念した昨年11月のコンサートを収録、「人生に歌あり」と題して今春発売予定。

     (2016年1月14日付読売新聞朝刊掲載)

    2016年01月18日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun