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    学校 モノ・風景

    「だるま」形 燃料は石炭…ストーブ

    読売新聞教育部 山田睦子

     「小学生のときは、だるまストーブで弁当箱を温めていました」。茨城県那珂市の檜山みやこさん(60)が、思い出をはがきで寄せてくれた。ストーブで一斗缶にお湯を沸かし、板をかぶせて弁当箱を置いた。「担任の先生の配慮でした。寒い時期、蒸気で温まった弁当を食べるのが楽しみだった」と振り返る。

     日本の家屋では、火鉢や囲炉裏で暖をとっていたが、明治の中頃からまきを燃料にした鉄製のストーブが普及した。

     青森県弘前市の小学校でも大正期の1922年にまきストーブが導入された。「ストーブの使用で教室はこれまでと比較にならぬほど暖かくなり、冬期の学習も楽になった」(新編弘前市史)と記録されている。

     その後、燃料は石炭が主流になっていく。埼玉県川口市は、鋳物製の石炭ストーブの一大生産地で、トップメーカーだった「福禄ふくろく」などが、形がだるまに似た「だるまストーブ」を多数製造した。川口市教委文化財課の宇田哲雄学芸員(51)は、「昭和20~30年代をピークに、石炭ストーブは全国に出荷され長く使われた。だるまストーブは石炭を追加しながら暖めるが、北海道など寒冷地では、石炭をためておける縦長のストーブも採用された」と説明する。

     燃料の石炭を教室に運ぶのは児童生徒の仕事で「ストーブ当番」などと呼ばれた。

     小学校の思い出をメールで寄せてくれた大阪市の太田久彦さん(57)は、「日直の朝は、30分ほど早く登校し、用務員室でバケツにすりきり一杯の石炭を入れてもらった」という。

     だるまストーブの絵を描いたはがきを寄せてくれた千葉県四街道市の斉藤厚子さん(57)の学校では、「男子は、石炭を火にくべる当番も担当していた」という。「石炭を入れすぎるとストーブが真っ赤になりました」

     昭和40年代以降は、石油ストーブが学校の暖房施設の主流になる。東京都足立区立足立小学校は昨年4月、新校舎にエアコン暖房を導入した。伊原葉子副校長(58)は、「私の子ども時代はだるまストーブ。エアコンは安全で管理も楽だが、思い出はできにくいかも」と話した。(山田睦子)

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    2016年02月16日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun