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    学校 モノ・風景

    答辞に代わり「呼びかけ」…卒業式

    読売新聞教育部 石塚公康

     「卒業生への送辞、それに対する答辞は、代表者が読んでいました」

     1954年(昭和29年)春、新潟県の村立小学校を卒業した千葉県四街道市の野田昭子さん(74)が当時の思い出をファクスで送ってくれた。自身も5年生の時に送辞を読んだという。

     「何度も練習したので、冒頭の『春風ものどかに吹き渡り』の一節は、今でもすらすら出てきます」と振り返った。

     「卒業式の歴史学」の著書がある有本真紀・立教大教授(57)によると、明治初期の1876年、東京にあった陸軍戸山学校が開いた卒業式が国内第1号とされる。翌年には、東京大でも第1回の卒業式が行われた。教員らが祝辞を、卒業生総代が答辞を述べるのが通例だった。

     一方、小学校では当初、年に数回行われる進級試験に合格することを「卒業」と呼んでいた。明治中期からは、学校を巣立つことが卒業となり、別れの儀式としての卒業式が定着していった。「蛍の光」や「仰げば尊し」などを歌い、感極まって出席者が涙を流す光景が広く見られるようになった。

     戦後の高度成長期以降、小中学校では、卒業生代表による答辞に代わり、全員がせりふを割り振られた「呼びかけ」が全国に広がった。「僕たち」(男子)、「私たちは」(女子)、「きょう、○○小学校を卒業します」(全員)といった具合だ。「学校側は、卒業生全員を主役にすることで、より感動的な式にしようと考えたのだろう」と有本教授は分析する。

     戦前からあった卒業アルバムは、カラー写真を使った豪華なものになった。卒業生が共同で記念の壁画や彫刻を制作したり、派手な謝恩会を開いたりする学校や、流行の卒業ソングを歌う学校も増え、巣立ちの思い出づくりは多様化している。

     広島県庄原市立総領中学校では毎年、卒業生が自分たちの卒業証書に使う和紙をすいている。地元ではかつて和紙作りが盛んだった。今月10日に卒業式を控える同中3年の中間希歩のあさん(15)は、「地元の材料で手作りした卒業証書を受け取るのが楽しみです」と話した。(石塚公康)

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    2016年03月08日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun