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    NHK朝ドラ「あさ」とポンジョと変わる女子大(上)

    メディア局編集部 京極理恵

    | (上) | (下) |

     佳境を迎えているNHK朝の連続ドラマ「あさが来た」。主人公「あさ」のモデルとなった実業家広岡浅子は、「女に学問は不要」と言われた明治時代、日本女子大学校(現・日本女子大学=東京都文京区)の創立に奔走した。大隈重信や三井家が深く関わり、日本女子大学校は女子高等教育機関の先駆けとして開学。それから110年余り、女子大を取り巻く状況は大きく変わりつつある。

    • ドレスを着た浅子の写真(2月、成瀬記念館の企画展で撮影=以下同じ)
      ドレスを着た浅子の写真(2月、成瀬記念館の企画展で撮影=以下同じ)

     「学問好きのお前の芽を摘もうとしていた」――。「あさが来た」で功なり名遂げた老実業家が、娘のあさに昔の失敗をわびた場面のセリフだ。その“つぐない”として実業家は女子大学校の用地提供を申し出る。

     このエピソードはフィクションかもしれないが、「あさ」のモデルとなった広岡浅子は13歳で読書を禁じられたとされ、40歳代で関わった日本女子大学校設立運動で実家・三井家は実際に学校用地を寄贈している。その日本女子大とはどんな大学なのか。

    「浅子展」で成瀬仁蔵への手紙などを公開中

     同大にある創立者・成瀬仁蔵の名を冠した「成瀬記念館」で、4月8日まで企画展「女子大学校創立の恩人――広岡浅子展」が開かれているというので、同館のある目白キャンパスに行ってみた。JR山手線内側の東京都文京区目白台、そこの坂を下りれば早稲田大学という場所だ。 

    • 成瀬仁蔵著『女子教育』などが展示されている
      成瀬仁蔵著『女子教育』などが展示されている
    • 広岡浅子展の開かれている「成瀬記念館」(東京都文京区)
      広岡浅子展の開かれている「成瀬記念館」(東京都文京区)

     同展では、女子大学校設立運動期を中心に、1896年(明治29年)から1916年(大正5年)までの浅子から成瀬宛ての書簡20通や成瀬仁蔵著『女子教育』、寄付金簿、写真などを展示している。

     記者が訪れたのは平日の午前だったが、観覧の人は途切れない。「通常だと1日20人から30人くらいですが、テレビが始まってからは100人以上訪れる日も珍しくありません」と同館学芸員の岸本美香子さん。「NHK朝の連続ドラマ『あさが来た』を見て来た」という人が圧倒的で、500人以上が訪れた日もあり、1月からこれまでに企画展の来場者は1万人を突破したという。

     岸本さんは同大の卒業生。「成瀬仁蔵は知っていたが、浅子について私の大学時代は一部の講義でしか取り上げなかったようで、よく知らなかった」という。しかし、2002年から同館に勤務後、今回展示しているような文献を読んで浅子の魅力に気づき、機会があったら取り上げたいと思っていたそうだ。

     岸本さんは「浅子の書簡は虚飾が無くて実務的。一日中頭を使っている、頭の回転の速い人だったと感じます。率直にいろんなことに悩んだり、迷ったりして、そして解決しようとしていることが見て取れます」という。浅子のパワーに学ぶべき点は、平成の今もたくさんあるのかもしれない。

    成瀬記念館(日・月・祝日は休み)


    2016年03月10日 11時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun