文字サイズ
    学校、受験など教育に関する掘り下げた記事をタイトルごとに掲載します。
    大学

    NHK朝ドラ「あさ」とポンジョと変わる女子大(下)

    メディア局編集部 京極理恵

    | (上) | (下) |

     NHK朝の連続ドラマ「あさが来た」主人公あさのモデル・広岡浅子ゆかりの日本女子大学校(現・日本女子大)が創立されたのは1901年(明治34年)。それから数十年後の昭和時代、若い女性はクリスマスケーキに例えられ、女子大と短大、共学大の間で道を模索していた--。「あさ」をはじめ、多くの先達が苦労して設立した女子大は、その後、どんなふうに変わってきたのだろうか。 (上) に続いてお伝えする。

    結婚と就職、男子と女子は別世界だった1980年代

    • “Bloom as a leader.”は日本女子大のタグライン(組織のコンセプトなどを示すスローガン)。「自己の可能性を開花させて、それぞれのステージでリーダーになる」意味だ(2月撮影、東京都文京区の日本女子大前で)
      “Bloom as a leader.”は日本女子大のタグライン(組織のコンセプトなどを示すスローガン)。「自己の可能性を開花させて、それぞれのステージでリーダーになる」意味だ(2月撮影、東京都文京区の日本女子大前で)

     現在、大学生の子どもを持つ親が学生時代だっただろう30年ほど前、東京では、「ポンジョ(日本女子大)と早稲田、慶応」「トンジョ(東京女子大)と東大、慶応」「オチャ(お茶の水女子大)と東大」「ツダ(津田塾大)と一橋」といった、女子大と(男女が共に在籍する)共学大の男女カップリングが花盛りだった。共学の女子は「お呼びではなかった」。

     さらに、アオタン(青山学院女子短大)、ガクタン(学習院女子短期大)、トンタン(東京女子大学短期大学部)をはじめとした短期大学に通う女子学生の方が、一般に男子からの人気を集めてもいた。

     東京家政大、日本女子大、昭和女子大で教員経験のあるジャーナリストの福沢恵子さんは「女子学生にとって、就職を考えるなら共学より女子大、短大という時代だった」と指摘する。結婚と就職に関し、女性にとって「断然その方がお得」だったからだ。

     当時、共学大の学生数全体に占める女子学生の割合は今よりかなり低めだった。文部科学省の学校基本調査の数字を見ると、4年制大学の学生(院生、研究生なども含む)に占める女子の割合は2015年度で43.1%(約123万人)だが、ほぼ四半世紀前の1991年度は28.3%(約63万人)に過ぎなかった。この中には女子大に通う学生が含まれるので、共学大に占める女子の割合はもっと少なかったことになる。

     以前は2年制の短期大学に進む女性も多かった。同じ調査で、91年度は、短大の女子学生数が約46万人(短大学生数に占める割合は91.6%)で、4年制大学の女子学生約63万人より少ない。ただ、修業年限は短大2年、大学4年なので、1学年あたりの女子学生数をざっくり計算すると、短大の女子学生は1学年約23万人、4大(院生なども含む)は1学年約16万人となり、短大に進む女性の方が優勢だったことになる。そして、前述のアオタン、ガクタン、トンタンは企業の人事担当者の評価も高く、就職状況がよかったという(福沢さん)。

     1学年あたりの女子学生人数で4大が短大を上回るのは、その5年後の96年度。4大が86万人強、短大が43万人弱の時だ。それ以降、女子は4大を目指す傾向が強まり、短大入学者は減る一方となっている(2015年度の短大女子学生は12万人弱)。

    • グラフはいずれも、文部科学省「学校基本調査」から作成。%は女子学生の占める割合
      グラフはいずれも、文部科学省「学校基本調査」から作成。%は女子学生の占める割合


    2016年03月11日 12時01分 Copyright © The Yomiuri Shimbun