文字サイズ
    学校、受験など教育に関する掘り下げた記事をタイトルごとに掲載します。
    学校 モノ・風景

    地域の見守り 防犯対策も…登下校

     「あぜ道や山道を毎日4キロ歩いていた」。東京都豊島区の上妻あがつま英夫さん(85)は、出身地、山形県の尋常小学校時代の登下校の様子を振り返った。

     上妻さんは、戦後に上京し、仕事で軽トラックを運転するようになった。高度成長とともに自動車が増え、交通事故の死者が急増していた時期。のどかだった故郷の風景とは異なり、「信号や一時停止の標識を無視する運転手もいて、子どもたちは周囲を見回しながら道路を横断していた」と話す。

     当時の状況は「交通戦争」と呼ばれた。登下校の安全を守るため、東京都は1959年、小学校近くで交通整理にあたる学童擁護員を導入した。緑の制服の女性が旗を持ち、子どもたちを誘導する姿から「緑のおばさん」の愛称で親しまれ、同様の取り組みは各地に広がった。

     学童の横断などが多い場所を示す標識も登場。近所に住む同じ学校の子どもたちが、一緒に通学する「集団登校」を行う地域もあった。

     子どもたちは登下校時、ランドセルに黄色いカバーを付けたり、黄色い帽子をかぶったりしてドライバーに注意を促した。

     また、富士銀行(当時)は65年に「黄色い腕章」の配布を始めるなど、企業も交通事故撲滅に協力した。

     72年には、学校周辺の車両通行を規制する「スクールゾーン」が全国で設けられた。

     交通事故は減ったが、登下校中の子どもが犯罪に巻き込まれるなど不測の事態は今も後を絶たない。立正大学の小宮信夫教授(犯罪学)は、「事故に加え、防犯や災害の対策も一体的に行うことが必要。大人の目が届きにくいなどの危険な場所を、子どもが察知できるように教えるべきだ」と話す。

     子どもたちの登下校は保護者や地元住民らが見守ることも多い。横浜市の神奈川県立横浜立野高校では、同校の生徒たちが、近所の小学校児童の登下校を定期的に見守っている。同校の清野史康ふみやす校長(59)は、「高校生も地域の一員として交流すれば、いざという時に小学生も助けを求めやすいのでは」と期待している。(朝来野祥子)

     「学校 モノ・風景」では学校生活を彩るモノや行事を通し、教室や子どもの暮らしの変遷をたどります。今後「校歌」「百葉箱」などを取り上げる予定です。エピソードに氏名、連絡先を添え下記の宛先へお寄せ下さい。
    (氏名、電話番号などを明記し、〒100・8055 読売新聞東京本社教育部へ。ファクス03・3217・9908.メールは kyouiku@yomiuri.com )
    2016年04月12日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun