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    学校 モノ・風景

    時代や世相反映する鏡…校歌

    読売新聞教育部 泉田友紀

     「卒業して何年もたって口ずさむと、歌詞の深い意味がわかります」。山梨県韮崎市の河野節子さん(64)が、出身高校の校歌への思いをファクスで寄せてくれた。

     山口県下関市の末成妙子さん(60)からは「校歌は学校生活の大切な一ページ」との手紙が届いた。小学校時代はアコーディオンの伴奏で校歌を歌い、音楽の教師になってからは、小中学校の児童生徒に校歌を覚えてもらった。

     日本で初めての校歌は、明治初期に開校した東京女子師範学校(現お茶の水女子大学)の「みがかずば」とされる。明治天皇の皇后だった昭憲しょうけん皇太后から贈られた和歌〈みがかずば玉もかがみもなにかせん学びの道もかくこそありけれ〉に雅楽師が曲を付けた。曲は後に洋風に改められた。

     渡辺裕・東京大学教授(音楽文化史)によると、当時の校歌は今と同じように始業式や卒業式など儀式の場で歌われた。

     東京都台東区立忍岡しのぶがおか小学校が、尋常小時代の1893年に作った校歌は〈繁る小草は大御代の恵みの露をいただきて〉など、忠君愛国を意識した歌詞だった。「近代国家にふさわしい人材などを育成するのが目的だった」と渡辺教授。明治後期には全国の学校で作られ始めたが、文部省の認可も必要になった。

     戦後、校歌は自由に作れるようになった。高度成長期にかけ学校が増えたこともあり、続々と校歌が誕生。戦前の歌詞や曲を変える学校もあった。

     1952年制作の千葉県立船橋高校の校歌は、〈大空映して寄せくる波のひねもすたゆまぬ努力の姿〉などと学生生活の希望を明るく描いた。作詞はサトウハチロー、作曲は山田耕筰で2人とも多くの校歌を手がけていた。同校の敷地には2011年、学校創立90年を記念し、校歌の石碑が建てられた。

     神戸市の甲南女子中学・高校では、本来の校歌に加え、高校3年生の代表が毎年、「第二校歌」を作る。「学校の思い出のほか、同世代に共通する悩みなどを歌詞にした作品が多い」と後田のちだ尚宏副教頭(58)。先輩のメッセージとして1年間、在校生らが歌っている。(泉田友紀)

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    2016年05月10日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun