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    スクールデイズ

    10歳で神田の古書街巡り…せなけいこさん

    聞き手・金来ひろみ

    絵本作家

    • 池谷美帆撮影
      池谷美帆撮影

     小学校から高校まで、お茶の水女子大(東京女子高等師範学校)の付属校に通いました。家が遠く電車やバスを乗り継いでの通学でした。

     絵を描いたり、本を読んだりするのが大好きな子で、大人の本でも面白そうであれば父の本棚から引っ張り出して読んでいたほどです。10歳頃になると、放課後に神田の古本屋を巡っていました。店のおじさんが「あんたが来ると思ったから、とっておいてやったよ」と言って、様々な本を見せてくれたものです。

     戦争中、空襲が激しくなり、秋田県石沢村(現由利本荘市)に集団疎開しました。その間、東京の自宅が焼け、大好きだった隣の家のおばあちゃんが空襲で亡くなるなど、悲しいことがいっぱいありました。

     家族と離れて寂しく、家に帰りたい思いでいっぱいでした。ある時、「紙芝居を作りたい」という私に、先生が白い紙をくださいました。手作りの紙芝居にみんな大喜び。私も思い切り絵を描けてうれしかったのを覚えています。

     大学に行かず絵で独立すると決めたのは高校2、3年の時。父は何も言いませんでしたが、母は大学に進むことを望んでいたので大反対。私は「卒業したら自分で稼ぐので一銭もいりません」と宣言しました。卒業後は日本銀行に就職し、事務の仕事をしていました。働きながら絵の教室に通い勉強しました。

     19歳の時、童画家の武井武雄先生に弟子入りしました。武井先生は、私が幼いころに読んだ絵本「おもちゃ箱」の著者であこがれの人でした。「おもちゃ箱」のモダンな絵がすてきで父にせがみ何度も読んでもらっていました。

     私が弟子入りした時は、すでに10人ほどのお弟子さんがいて、全員年上の男性。昭和生まれは私だけでした。

     描いた絵を定期的に持って行って批評してもらうのですが、褒めることのない厳しい先生でした。でも、母の反対を押し切って選んだ道なので必死に描き続けました。自分がいいと思った道をまっすぐ進んできたので、絵本作家になれたのかもしれませんね。(聞き手・金来ひろみ)

    プロフィル
    せな・けいこ
     1931年、東京生まれ。69年、「いやだいやだの絵本」でデビュー。70年、同作品でサンケイ児童出版文化賞を受賞。「ねないこだれだ」「めがねうさぎ」など多数の絵本を手がける。今年7月に自伝的絵本「ねないこはわたし」(文芸春秋)を刊行。
    2016年09月26日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun