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    スクールデイズ

    異文化体験 世界開ける…長井鞠子さん

    通訳者

    • 長井鞠子さん(秋元和夫撮影)
      長井鞠子さん(秋元和夫撮影)

     仙台市で生まれ育ちました。女子大の英文科を卒業した母が、戦後にGHQ(連合国軍総司令部)で働いており、休日に米国人家族とバーベキューをするなど、幼い頃から英語に触れる機会がありました。

     本格的に英語を学んだのは地元の宮城学院中学校に入学してからです。独特の英語教育を行うミッション系の学校で、最初の1学期は徹底して発音記号の読み方を学びました。鏡で口元を見ながら発音の練習をし、英語の詩の暗唱もよくやりました。

     私は、母が職場から持ってきてくれる半年遅れのティーン雑誌を眺めては、米国の高校生活に憧れを募らせ、高校3年の時にテキサス州ダラスに10か月間留学しました。

     当時は宇宙旅行に行くような感覚でしたが、習っていたバイオリンのおかげで、留学先のオーケストラ部でコンサートマスターを務めたり、ダンスパーティーを経験したりと、楽しい留学生活を送ることができました。

     通訳の仕事に初めて触れたのは、国際基督教大学(ICU)2年生のとき、東京五輪が開かれた1964年です。会場で外国選手を案内したり、女子の競泳で選手の名前や国籍、記録などをアナウンスしたりするアルバイトをしました。競技を観戦できた上、アルバイト代もよく、大会の公式ユニホームも支給されていいことずくめでした。

     当時は大学紛争が始まった時期。大学には外国人の教員や留学生が大勢いたので、学生集会で同時通訳を任されることもありました。

     反戦市民団体の集会に好奇心で参加したとき、私が現在も顧問を務める通訳エージェントの創設者らがボランティアで通訳をしていました。その会場で、彼らに「会社を作ったから通訳者にならないか」と誘われたのが縁で、卒業後に通訳者になりました。

     若い人に言いたいのは、できるなら高校生の時に異文化に身を置く経験をしてほしいということです。最初は言葉が通じなくて苦労しますが、少しずつ言葉が分かり、世界が開いてくる実感は何よりも得難いものです。(聞き手・金来ひろみ)

    プロフィル
    ながい・まりこ
     1943年、宮城県生まれ。日本における会議通訳者の草分け的存在で、先進国首脳会議(サミット)など国際会議の同時通訳を長年担当。2020年の東京五輪・パラリンピック招致活動でも通訳を務めた。著書に「伝える極意」など。

     (2017年2月9日付読売新聞朝刊掲載)

    2017年02月16日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun