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    スクールデイズ

    ホノルルへ転校 生活一変…小錦八十吉さん

    タレント

    • 小錦八十吉さん(秋元和夫撮影)
      小錦八十吉さん(秋元和夫撮影)

     ハワイのオアフ島西岸部のナナクリという町で、10人きょうだいの9番目の子どもとして生まれ育ちました。比較的貧しい地域で、近隣で助け合い結びつきが強い反面、近所のグループ同士のけんかが絶えませんでした。

     小学生のころから、地元で盛んだったボクシングやアメリカンフットボールをやり、毎週日曜日は教会の聖歌隊でも歌いました。学校の授業ではハワイの伝統音楽やポリネシアンダンスも学びました。音楽ライブなど現在の活動は、小さな頃から音楽に親しんできたことが理由の一つかもしれませんね。

     勉強は算数が得意で、小学校の学内コンテストで2位になったこともあります。ただ先生は怖くて、けんかをするとひっぱたかれました。

     生活が変わったのが高校1年生のとき。両親の勧めで、地元の高校からホノルルのハワイ大学付属高校に転校しました。米領サモアから移住して苦労した両親は、子どもに良い教育を受けさせたいと思ったのでしょう。この高校には、家庭が裕福で、弁護士や医師を目指すような頭の良い生徒もいました。

     ただ、ナナクリからは遠く、毎朝午前5時台のバスに乗って通学し、アメフトの練習が終わって帰宅するのが午後11時近く。今だから言えるけれど、学校の学生ラウンジでしばしば無断で寝泊まりしてました。仲間3~4人と寝たり、夕食を作ったりして、楽しかったですよ。

     アメフトチームは、リーグの優勝決定戦まで進みました。また、学校のジャズバンドのフェスティバルで米国本土にも行きました。卒業後は法律の勉強もしたいと思ってました。

     ナナクリでは助け合いの風土が良かったけれど、皆が似た環境で育ち、競争意識がなく、勉強やスポーツでやる気を高めるのは難しかった。

     でも高校では、家庭環境などが全く違う生徒から刺激を受けました。広い世界に目を向けるきっかけにもなり、日本の大相撲にスカウトされ、来日することになった時もあまり迷いませんでした。高校時代の経験と、通わせてくれた両親に感謝しています。(聞き手・石川純)

    プロフィル
    こにしき・やそきち
     1963年、米ハワイ州生まれ。ハワイ出身の元関脇高見山にスカウトされ、82年に初土俵。87年に初の外国人大関に昇進。94年に日本に帰化。97年の引退後はテレビやラジオで活躍。音楽活動も行い、昨年11月、妻の千絵さんとバラード、ロック、ジャズなど幅広いジャンルを歌ったCD「COLOR’s」をリリース。

     (2017年4月27日付読売新聞朝刊掲載)

    2017年05月01日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun