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    スクールデイズ

    「あきらめない」部活で培う…生稲晃子さん

    聞き手・石塚公康

    女優

    • 生稲晃子さん(池谷美帆撮影)
      生稲晃子さん(池谷美帆撮影)

     運動が好きな子どもで、地元の東京都小金井市立緑中学校ではバレーボール部に入りました。当時の身長は157センチぐらいで、セッターを務めていました。

     あがり性で引っ込み思案だったのですが、2年生の秋、周りの推薦で部長になりました。それからが大変。顧問の先生はあまり部活に顔を出さず、部長の私が皆と相談しながら、毎日の練習メニューを考えました。チームが強くなるために、レシーブやサーブなど、どんな練習を組み合わせたらいいか、ノートに書きながら考えました。おかげで責任感が強くなりました。

     私立吉祥女子高校に進学後も、バレーボール部に入りました。古豪として知られ、練習も厳しかった。午前6時に家を出て朝練に参加し、放課後の練習を終えて帰宅すると午後9時を回っていました。

     ところが1年生の秋、心臓に疾患が見つかりました。ドクターストップがかかり、厳しい練習はできなくなりました。退部も考えましたが、練習には参加し、試合に出る仲間を助けようと、マネジャーの仕事を手伝い、ベンチから大声で応援しました。

     3年生のとき、アイドルグループ「おニャン子クラブ」のメンバーとして、テレビ番組「夕やけニャンニャン」に出るようになってからも、週末はバレー部の活動に参加していました。レギュラー選手になれないのはつらかったですが、あきらめず、最後までやめなかったことは、芸能活動を続けていく上でも支えになりました。

     高校卒業後は恵泉女学園短大に進学。仕事が忙しく、なかなか授業に出席できなくなります。それでも頑張って2年半かけて必要な単位を取得しました。秋に一人だけの卒業式を開いてもらい、祝っていただきました。

     それから30年近くたちました。結婚や出産を経て、乳がんが見つかったときも、病気と闘いながら仕事も子育てもこなしてきました。バレーボールで培った「あきらめない」姿勢は、今も変わっていないと思います。(聞き手・石塚公康)

    プロフィル
    いくいな・あきこ
     1968年、東京生まれ。「おニャン子クラブ」のメンバーを経て、女優や歌手として活躍。2015年、乳がんで闘病中であることを公表。政府の「働き方改革実現会議」民間議員を務める。著書に「右胸にありがとう そして さようなら」。

     (2017年5月18日付読売新聞朝刊掲載)

    2017年05月22日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun