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    スクールデイズ

    秩父の人情 芸の土台…林家たい平さん

    聞き手・佐藤寛之

    落語家

    • 林家たい平さん(岩佐譲撮影)
      林家たい平さん(岩佐譲撮影)

     自然豊かな埼玉県秩父市で生まれ、のびのびと育ちました。近くのお寺の境内で缶けりをしたり、かくれんぼをしたり。川で泳ぎ、魚を捕って食べたりもしました。

     両親は紳士服の仕立屋を営んでいました。遅くまで働いており、向かいのアパートの人が一緒にご飯を食べてくれ、お風呂にも入れてくれました。両親が忙しい時、近くのパーマ屋さんがご飯を作ってくれました。

     秩父には、子どもが主役の大きな祭りが夏にあります。屋台に上って太鼓をたたく役は注目を集めるので、先輩の動きを一生懸命覚えました。小学生から高校生まで参加し、上下関係の大切さを学びました。こうした秩父の人情が、芸の土台になっています。

     当時から人を笑わせるのが好きでした。高校時代は漫才コンビ「ツービート」などが脚光を浴びた漫才ブームの全盛期。「ビートあきら」の名で、文化祭で漫才を披露しました。

    • 小学6年生の頃、祭りの後に秩父神社で母親と(たい平さん提供)
      小学6年生の頃、祭りの後に秩父神社で母親と(たい平さん提供)

     美術の先生になりたくて武蔵野美術大に進学した後、落語に出会いました。落語研究会の前をたまたま通ったら、廃部の相談をしていたんです。「人助けになり、おもしろいこともできそう」と思って入りました。仲間を誘ったら十数人も集まり、文化祭で寄席を開きました。

     落語家を目指したきっかけは、大学3年の時に、五代目柳家小さん師匠の「粗忽長屋そこつながや」をラジオで聞いたことです。アパートで大学の課題に取り組んでいたのですが、ゲラゲラ笑ってしまいました。

     その頃、デザインに興味を持っていました。「デザインは人を幸せにするためにある」と教えられましたが、「そんなデザインに出会えない」と悩んでいた時期でもあったんです。「落ち込んでいる人が落語で幸せになれれば、それも良いんじゃないか」と思い、落語の道に進みました。

     大学で落語に出会い、人生が豊かになりました。そんな経験を多くの人にしてほしい。落語がおもしろかった、と言っていただけるとうれしいですね。

    プロフィル
    はやしや・たいへい
     1964年生まれ。本名は 田鹿明 たじかあきら 。武蔵野美術大学造形学部を卒業後、88年に林家こん平さんに入門。92年に二ツ目、2000年に真打ちに昇進。日本テレビ系「笑点」の大喜利メンバーとして活躍している。

    (2017年11月2日付読売新聞朝刊掲載)

    2017年11月06日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun