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    スクールデイズ

    内戦後のルワンダに渡航…瀬谷ルミ子さん

    聞き手・金来ひろみ

    日本紛争予防センター理事長

    • 瀬谷ルミ子さん(吉岡毅撮影)
      瀬谷ルミ子さん(吉岡毅撮影)

     高校卒業まで自然豊かな群馬県新里村(現桐生市)で育ちました。3歳年上の姉は勉強も運動もできて学級委員をしていたのに対し、私は運動が苦手でした。負けん気は強く「人がやらないことをやる」と思っていました。

     最も身近な「未知のもの」は英語でした。お年玉で大人が使う教材を買い、熱心に勉強しました。英語を使う仕事をしたいと思いましたが、浮かぶのは通訳や翻訳くらい。帰国子女の英語力にはかなわない。なので英語プラスアルファが必要と考えました。

     高校3年の春、転機が訪れました。自宅で新聞を読んでいると、ルワンダの難民キャンプで死にゆく母親の脇で、子どもが泣いている写真が目に留まり、様々な疑問がわきました。私が首相なら飛行機いっぱいの食料や薬を現地に送るのに、そんなことをする国はありません。

     「紛争地を変えたい」と決めました。でも、当時国内に紛争解決を専門に教える大学はなく、広く学べて英語にも力を入れている中央大総合政策学部に進学しました。英語を話すため外国人が集まるイベントに顔を出し、長期休みは短期留学したり、海外旅行に出かけたりしました。

     大学3年の夏、ルワンダへ渡り、知り合いのつてで現地家庭にホームステイしました。内戦の終結からまだ数年の頃です。現地のためにできることがあるのでは、と期待しましたが、専門性がないと何もできないことが分かりました。内戦当時を話してくれる人もいましたが、返す言葉が見つかりませんでした。

     帰国後、ルワンダを支援する民間活動団体(NGO)でインターンをしました。卒業後は英国へ留学し、紛争地における元兵士の社会復帰を専門にしました。

     今は情報があふれ、やりたいことが分からなくなることもあるでしょう。そんな時、心が熱くなった瞬間を書き留めることをおすすめします。紛争地と違い、日本人には人生の選択肢がたくさんあります。でも、選べる期間は限られています。怖くても、一歩踏み出す勇気が必要なのです。

    プロフィル
    せや・るみこ
     1977年、群馬県生まれ。NPO法人・日本紛争予防センター理事長。中央大卒。英ブラッドフォード大修士課程を修了後、NGOでルワンダ支援に携わり、在アフガニスタン日本大使館などにも勤務。武装解除や平和構築などの活動に携わる。著書に「職業は武装解除」。

     (2017年12月7日付読売新聞朝刊掲載)

    2017年12月11日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun