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大学再編 大学再生

(5) 廃校の学生 153人受け入れ

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すでに立志舘大学時代の学生は巣立った呉大学坂キャンパス(広島県坂町)

 廃校になる大学の学生を受け入れた大学には何が起きたのか。

 「君たちに与えられた環境は過酷かもしれない。だが、与えられた環境の中で最善を尽くせ」

 呉大学(広島県呉市)を経営する学校法人広島文化学園の坂田正二理事長(75)は、そんなふうに、隣町(同県坂町)の立志舘大学から受け入れた学生たちを激励した。2003年4月の入学式だった。

 「前日の晩まで、何と言おうか悩んだ。学生には何の責任もない。これまでの不満や怒り、これからの不安と複雑な気持ちを抱えている。とにかく前向きに歩くしかないと呼びかけた」

 すでに転編入生が巣立った呉大学坂キャンパスで坂田理事長は振り返る。

 立志舘大の前身は広島安芸女子大学。短大を4年制に転換して2000年にスタートしたが、入学者は2年連続で30人台と、定員(195人)を大きく割り込んだ。2年後、共学化して立志舘大と名前が変わっても経営難は続き、わずか1年で募集停止となった。

 呉大は社会情報学部と看護学部の2学部を持ち、立志舘大は経営学部だけの単科大学。経営的に何の関係もないが、救いの手を差し伸べるきっかけは、立志舘大の系列高の教師が、わずかなツテを頼って坂田理事長に直訴したことだった。

 大学の経営が破たんしても、学生の学習権保障は大前提。ただ、学生を受け入れる側は、プラス面とマイナス面を天秤(てんびん)にかける。

 学生が増えることで、外野のやっかみの声もあったというが「実際には大変な作業。学生のために、という思いでなければできなかった」と、当時、学長補佐兼事務部長として実務の中心にいた山岡信雄さん(73)が力を込める。

 受け入れを決定したのは、02年の12月17日。年末年始を挟み、文部科学省などへの連絡や手続き、入学希望者への連絡、在学生の対応と、膨大な作業と時間との戦いが続いた。

 翌年1月7日の学生や保護者への説明会では、坂田理事長が質疑応答に立ち、転入・編入学に伴う入学金の免除や、呉大よりも若干低かった授業料の適用も、その場で決断した。

 その後、両大の教員が学生一人ひとりに面接し、大学を移ることの意思と取得単位の確認をした。幸い、社会情報学部には経営関連の学科があり、カリキュラムには共通性があった。

 岡隆光学長(58)は、立志舘大へ入学が決まっていた中国人留学生の再試験のため、長春や重慶へも飛んだ。3月に医療事務などの試験を控えた学生のために補講もした。

 最終的に174人のうち153人が、立志舘大を引き継いだ呉大学の坂キャンパスにそのまま通学した。「だれにも文句を言われなかったことが誇りだ」と坂田理事長。

 少子化が続く限り、大学の淘汰(とうた)はこれからも続く。「一番困るのは、情報が不足しがちな留学生。もしもの時には、公的な機関がケアするなどの仕組みを整えておくことが大切ではないか」と山岡さんは提案している。(吉田典之)

 「第三者が学籍管理」提案 日本私立大学連盟が2002年にまとめた報告書「学校法人の経営困難回避策とクライシス・マネジメント」は、学生の身分や学籍は「最優先で守らなければならない」として、私大連盟など、第三者機関での学籍の管理を提案している。破たん法人からの移籍がスムーズにできるからだ。そのためには、学校法人の普段からの情報開示や、第三者機関による継続的な評価が欠かせないとしている。

2007年2月3日  読売新聞)
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