文字サイズ
      企画・制作 : 読売新聞社広告局
明治維新150周年 カウントダウンシンポジウム in 京都

 「明治維新150周年カウントダウンシンポジウムin京都~幕末京都を彩った薩摩の魅力~」(観光かごしま大キャンペーン推進協議会、読売新聞西部本社主催)が、京都市で開催されました。テレビで活躍中の歴史コメンテーター金谷俊一郎さんの基調講演、幕末維新ミュージアム霊山歴史館副館長、木村幸比古さん、鹿児島県立図書館館長・志學館大学教授、原口泉さんを交えたパネルトークで、薩摩藩と京都の深い縁と交流をひもとき、満場の聴衆は熱心に耳を傾けていました。
基調講演 幕末京都を彩った薩摩の魅力
歴史コメンテーター 金谷 俊一郎氏  鹿児島県では一昨年、「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録されました。鹿児島県内からは、旧集成館など三つの構成資産が登録されています。一体、どのようなストーリーがあるのか。幕末の歴史と絡めて、さらに薩摩と京都の関係についてお話しします。
 薩摩藩は江戸時代、日本一の貧乏藩でした。理由は①シラス台地で米作ができない②土砂崩れや、大火など災害が多い③普通の藩は武士の人口割合が約5%なのに、薩摩藩は25%もあり、その給料が財政を圧迫した―です。このため江戸時代の終わり頃には500万両の借金を抱えていました。
 一方で薩摩藩には他藩にない利点がありました。①琉球との密貿易②奄美群島で採れる黒砂糖③中央から遠く進取の気風に富む―です。ただ、これらがあるだけでは明治維新を起こすには足りません。幕末期の殿様たちの度量が大きかったことが挙げられます。
 まず8代藩主、重豪。その孫が10代斉興でその子が11代斉彬、その養子が最後の薩摩藩の殿様である12代藩主忠義です。忠義の父、久光は斉興の五男に当たる人で実質的な最高権力者となっていきます。
 重豪は調所広郷を登用、40年後、斉興の時代に家老となった調所は①借金の250年賦返済②黒砂糖の専売強化③琉球との密貿易増加―に取り組み、わずか2年で250万両を蓄財します。
 改革に成功した後、斉彬が藩主となり、藩の富国強兵を始めます。ジョン万次郎を保護し海外の情報を集め、下級藩士であった西郷隆盛、大久保利通を登用します。
 そして1851年、製鉄、造船、紡績、ガラス、印刷など色々な工場の集まりである集成館など世界遺産に登録された施設の建設を始めます。
 こうした技術は、どこでもヨーロッパの技術者が指導することで普及しています。しかし、ペリー来航が1853年ですから、当時は日本にそうした技術者はいません。薩摩藩は、すべて純粋のメイド・イン・ジャパンで造りました。基礎は石垣の技術、反射炉の高炉部分は薩摩焼を使いました。だから世界が「すごい」と評価したのです。
 1858年、斉彬が急死し忠義が藩主になり、実権を握った久光が公武合体を唱えます。寺田屋事件で薩摩藩の尊王攘夷派を処罰し、文久の改革を行います。朝廷と幕府が一体化して挙国体制をとらないと日本はダメになると、危機感を抱いてのことです。実は薩摩藩は、攘夷目的の公武合体で、強い日本を作って外国を追い出そうという考え方でしたが、生麦事件、薩英戦争が起こり、攘夷は難しいと悟ります。
 薩摩藩は会津藩とともに、京都に大勢いた長州藩などの尊王攘夷派を追放にかかります。蛤御門の変、下関戦争が起こると長州勢をつぶすだけではダメで朝廷、幕府と力のある藩が一緒になっていく「雄藩連合」へと動きます。集成館が復活し鹿児島紡績所が作られて鹿児島は立ち直っていきます。
 薩摩藩だけではなく長州藩があって、朝廷があり、いろんな人全ての絡み合いが幕末の京都で行われていたことを念頭に置いてパネルトークを聞いていただきたいと思います。

パネルトーク 幕末の京都で活躍した西郷隆盛と薩摩藩の有志たち
パネリスト 幕末維新ミュージアム霊山歴史館副館長 木村 幸比古氏、歴史コメンテーター 金谷 俊一郎氏、鹿児島県立図書館長・志學館大学教授 原口 泉氏 コーディネーター ラジオパーソナリティ 對馬 京子氏 基調講演を受けてのコメントをお願いします
木村 今年は大政奉還150年です。徳川慶喜の母は有栖川家の出、父は御三家の水戸藩主なので、自分が大政奉還するのが一番ふさわしいと考えたようです。
 西郷、大久保と京都の岩倉具視は武力倒幕を考えていました。徳川の領地返納をもって新政府の財源にするつもりでした。公武合体派は政権だけを穏便に返上させて、財源は後で考えようといいます。
 西郷らはそれでは外国から付け入られると心配して、討幕の密勅をもって大政奉還がこじれた場合に対応しようとしたのです。また王政復古の大号令でもって身分や職制を大改革し、新しい政府を作ってしまう。このようなせめぎ合いが京都で繰り広げられていました。
原口 薩長同盟、大政奉還、王政復古の大号令、鳥羽伏見の戦いと重要な出来事は全部京都で起きています。敏しょうで行動力のある薩摩隼人ですが、政治的な権威がなければ成し遂げることはできなかったでしょう。
 元々島津が管理していた島津荘は公家の近衛家領でもありましたし、島津のお姫様が近衛家に嫁ぐなど深い縁がずっと続いているなどが政治力の背景です。
金谷 朝廷への接し方が薩摩藩と長州藩では随分違います。薩摩藩には朝廷に対する敬意を感じます。それは戦国時代からの関係、長い縁があったからこそ、世界の他の革命に比べて平和的で、他国の侵略も受けずに国を築き上げていけたのだと思います。

薩摩藩士たちの京都でのエピソードをお願いします
木村 西郷は祇園でかなり遊んでおり、太った女性が好きでした。歌舞伎にもなっています。
 また大久保は祇園の茶屋「一力」の女性の帯で錦の御旗を作りました。小松帯刀も桐野利秋もたばこ屋の女性にほれています。皆、京都の花街で遊び、議論を交わして明治維新は始まったとも言えます。
原口 桐野利秋は、西郷の分身のような人でした。ロシアの圧力が高まると西郷は桐野を函館に派遣し、屯田兵の調査を始めさせるほど信頼していました。
 桐野を題材にした「桜華に舞え」という宝塚歌劇があるほどで女性にもてた人でした。

西郷と大久保は近所で生まれ育っています
原口 アメリカではエジソン、フォード、ライト兄弟が、オハイオ州とミシガン州の20マイル圏内で生まれ育っています。時代の流れにマッチすれば特定の地域で人材が群生することがあるのでしょう。
 鹿児島市の下加治屋町は下級藩士の屋敷町でしたが20年間に西郷、大久保、東郷平八郎を輩出しています。若者たちが夜な夜な集まって天下国家を論じていたらその通りになったと言うわけです。

京都の人たちは薩摩藩をどう見ていたのでしょう
原口 薩摩藩は京都を大変大事にしていました。久光公が寺田屋事件で尊王攘夷派を粛正し、藩として一本にまとまりました。これで一番安堵したのが京都のお公家さんたちです。文久2年に久光が京都入りした際、京都の人たちは「薩州大明神」と呼んでいます。

京都に薩摩藩ゆかりの場所がありますか
原口 妙心寺があります。久光の京都入りに際して、小松帯刀や大久保利通らは、京都でどのように振る舞えばよいか、ここでレクチャーを受けています。また上方で亡くなった薩摩の人は東福寺即宗院にお墓があります。
 幕末には薩摩藩邸が錦小路と伏見にありましたが、久光が軍勢を連れて京都に入った時は、コメを持参したおかげで京都の物価が上がらず感謝されています。
木村 霊山歴史館に収蔵されている近藤家資料から、現在、清水寺の駐車場がある場所に西郷さんの銅像を建てようと清水寺に申請した書類が発見されています。東京・上野公園に銅像が建てられる10年前です。
 軍服を着て馬に乗り銃剣を持って指揮をしている下絵も残っています。駐車場は西郷さんの公園になる予定でしたが、結局実現しませんでした。

京都の皆さんに鹿児島で訪れてほしい所は?
木村 西郷さんの銅像や仙巌園など見どころはたくさんあります。
金谷 西南戦争の道のりをたどるのは面白いと思います。その地域のことを知っておくことが大事です。
 史跡として残っていなくても、そこでどんなことがあったかを知っておけば見えてくるものも変わると思います。

改めて京都と薩摩藩の縁について
原口 最後の藩主忠義の娘さんが俔子(ちかこ)さま。
 嫁いだ先が久邇宮(くにのみや)家で、お生まれになったのが良子(ながこ)さま。
 昭和天皇のお后さま、今上天皇のお母様でいらっしゃいます。平成が30年を迎える年に維新150周年を迎えるのは、大変意義深いことだと考えます。
木村 京都には島津という名前がたくさんあります。島津製作所は藩主から名前をいただいており、田中耕一さんがノーベル賞を受賞しました。
 歴史の縁はつながっています。将来を見据えて歴史を語ることが大切です。
原口 西郷は、将軍御台所となる篤姫の婚礼道具を京都で調達しました。
木村 篤姫は江戸に行く際、薩摩の家紋をいっさい使ってはいけない。全部、近衛家の家紋を使いなさいと言われていました。
 西郷さんは斉彬のお庭番でもありましたから、どこで調達すれば良いか分かっていた。
 小さなことの積み重ねが、大きな政治を見ることにつながっていったと考えています。
原口 ぜひ訪れていただきたい場所として、日本国中に西郷さんを祭る南洲神社があります。北は山形県酒田市、南は沖永良部島まで5か所です。
 大島紬と西陣のコラボなど新しい試みも京都と鹿児島で始まっています。
金谷 「銅像に三者の思いあり」といいます。本人、作り手の思い、銅像を造ろうと思い立ちお金を出した人たちの思いです。そこに思いをはせると感じるものがあるはずです。
 つい最近、龍馬の暗殺5日前の手紙が発見されたというニュースがありました。
 来年のNHK大河ドラマ「西郷どん」に向けて、薩摩と京都の関係など、新しい発見がたくさんあるでしょう。これをきっかけに歴史の楽しみを追いかけていただきたいと思います。