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    歴史・文化財

    南九州の磨崖仏小穴から人骨…鎌倉期、火葬後に納骨か

    • 人骨片が見つかった宝篋印塔下の小穴
      人骨片が見つかった宝篋印塔下の小穴
    • 小穴に納められていた人骨片(南九州市教委提供
      小穴に納められていた人骨片(南九州市教委提供

     鹿児島県南九州市川辺町の県指定史跡「清水磨崖仏きよみずまがいぶつ」にある小穴から、鎌倉時代に火葬されたとみられる人骨片が見つかった。同市教委によると、磨崖仏の穴から人骨片が確認されるのは全国的にも珍しいといい、市教委は「磨崖仏が埋葬地でもあったことを示す資料になる」としている。

     磨崖仏は、崖や岩に彫刻された仏像などのこと。清水磨崖仏は、清水川(万之瀬川)上流沿いの右岸にある高さ約20メートル、長さ約400メートルにわたる岩壁に刻まれている。梵字ぼんじや五輪塔、宝篋印塔ほうきょういんとうなど200基で、鎌倉時代を中心に、平安から明治時代にかけて製作された。

     人骨片は、市教委が7、8月に行った発掘調査で見つかった。下流から4番目の宝篋印塔の下で土を掘り下げたところ、石蓋つきの横穴(縦約17センチ、横約21センチ、奥行き約17センチ)があり、中に頭から足にかけての骨の一部が納められていた。背骨はなかった。

     鹿児島女子短大の竹中正巳教授(骨考古学、解剖学)が鑑定したところ、きゃしゃな熟年男性のものとみられ、生前の骨折の跡もあったという。火葬後、骨を選んで納骨したらしい。

     磨崖仏の小穴は他の地域でも確認されており、お経を納めたり、灯明を置いたりしていたと考えられていた。調査を担当した市教委の新地浩一郎学芸員は「小穴が納骨にも使われていたことがわかった。磨崖仏が供養の地としてだけでなく、埋葬地でもあったということになる」と話した。

     清水磨崖仏は鎌倉時代、当地の支配者が製作にかかわったとされる。市教委は、小穴から見つかった人骨片は支配層にゆかりのある人物ではないかとみて、今後も調査を行う。

     今回の調査では人骨片のほか、新たに2基の五輪塔や江戸時代の用水路の石組みも見つかった。市教委は10日午前10時から現地説明会を開く。

    2017年09月06日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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