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    歴史・文化財

    小倉城天守閣の木材か、石垣調査で発掘

    • 天守閣の一部とみられる焼け焦げた木材
      天守閣の一部とみられる焼け焦げた木材
    • 「九曜文」の一部(右)、「三階菱文」(下)、キリの葉を記した各家紋の瓦
      「九曜文」の一部(右)、「三階菱文」(下)、キリの葉を記した各家紋の瓦

     北九州市小倉北区の小倉城の石垣調査をしている市は16日、堀の底から江戸時代後期の火災で焼失した天守閣の一部とみられる木材が発掘されたと発表した。市芸術文化振興財団の埋蔵文化財調査室は「火災を裏付ける重要な史料。詳細に調査したい」としている。

     見つかった木材は、焦げた跡が残る長さ約1・4メートルの角材や、和くぎが付いた状態の板材など約50点。角材には、くぼみがあり、柱や、はりなどに使われていたと考えられるという。

     また、潰れた鉄製のちょうつがいや1000点を超える瓦、多数のしっくいのかけらなども発掘された。

     中には、小倉藩を統治した小笠原家の家紋の「三階菱文さんかいびしもん」や細川家の「九曜文」のほか、豊臣家の家紋であるキリの葉を表現した瓦も出土。戦国時代末期の武将が居城していた史実とも一致するという。

     石垣調査は、大規模災害に備えた情報収集を目的に2月20日に始まった。天守閣東側の堀約4400立方メートルの水が抜かれ、木材などは天守台直下の堀を約8メートル四方、深さ約2・5メートルにわたって発掘した際に見つかった。現地調査は20日まで続くという。

     小倉城は細川忠興が1602年(慶長7年)に築城。天守閣は1837年(天保8年)の火災で焼失したが、再建はされなかった。1866年(慶応2年)に長州藩の侵攻を受けた小倉藩が城に火を放ち、現在の天守閣は1959年に旧小倉市などが再建した。

     小倉城に詳しい北九州市立大非常勤講師の永尾正剛さん(71)(日本近世史)は「瓦や部材を調査することで、天守閣の具体的な構造が明らかになる可能性もある」と評価する。市は17日午前11時~正午、現地説明会を開く。参加無料。問い合わせは同調査室(093・582・0941)へ。

    2018年03月17日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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