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    文学館が復刊

     絶版などで読むことができなくなった郷土ゆかりの文学作品を、九州・山口の文学館が相次いで復刊させている。名作を未来に引き継ぎたいとの使命感が原動力となっている。

    ◆童話を絵本に

     「日本のアンデルセン」と称される児童文学者、久留島武彦(1874~1960年)。郷里の大分県玖珠町が今年4月に開設した「久留島武彦記念館」は、絵本シリーズ「くるしま童話名作選」の制作に取り組んでいる。

     久留島は全国を回って童話を語り聞かせる「口演」に取り組み、141作もの童話を書き残した。玖珠町は没後50年を記念した顕彰事業で、その一部を絵本にして復刊させることを企画。2011年から刊行を始め、現在は記念館がシリーズの展示や新作の制作を担っている。

     金成妍キムソンヨン館長は「他人を助けたり、他者との違いを認め合ったりすることの大切さを訴えた久留島先生の言葉を埋もれさせず、現代によみがえらせたい」と話す。

     こだわったのは読みやすさだ。原本に込められたメッセージ性は変えずに、当時の言葉遣いを、今の子どもたち向けにわかりやすく改めた。

     例えば、音色の悪い鈴が良い音色を出すための修業に出る物語「すずむし」。1896年10月の雑誌「少年世界」に掲載された原本では、主人公は〈わたくし諸国遍歴しょこくへんれき音修業者ねしゅぎょうじゃであります〉と自己紹介しているが、絵本では〈わたしは、音のしゅぎょうのたびをしています〉とした。

     予算は年間約400万円で1作品につき3000部を作製し、全国の書店で販売している。

    ◆読んでもらう

     文学に関する資料収集や研究の蓄積といった文学館の役割、強みを生かし、解説の充実に力を入れた企画も目立つ。

     「文学の街」を掲げる北九州市の市立文学館は2006年の開館時から、森鴎外、林芙美子らゆかりの文学者の絶版本などを「文学館文庫」として刊行している。地元出身の火野葦平(1906~60年)については、「麦と兵隊」など代表作を相次ぎよみがえらせた。

     大正、昭和を代表する女流俳人の一人で、小倉で活動した杉田久女ひさじょ(1890~1946年)の没後70年に合わせ、今年1月に刊行した同文庫別冊「杉田久女しょう」では、久女の俳句、随筆に加え、俳人の高橋睦郎むつおさんら7人が久女の俳句世界を読み解く寄稿や、作品解説、年譜なども収録した。

     今川英子館長は「文学館は作家の資料を展示する施設だと思われがちだが、本来は作品そのものを読んでもらうことが大切な役割」と力を込める。

     福岡市文学館も13年から、毎秋の企画展で取り上げた郷土作家の絶版作品などを「文学館選書」として刊行している。スタッフが研究成果を生かして解説を執筆したり、遺族から寄贈された希少な資料を基に作品を掲載したりするなど独自色を打ち出している。

    ◆詩人の原点

     山口市の中原中也記念館では、詩人の中也(1907~37年)が、旧制山口中学時代に詠んだ短歌を収録した歌集「末黒野すぐろの」を複製、販売している。

     歌集は1922年、地元新聞記者らとの合同歌集として出版された。中也の短歌は「温泉集」と題した28首。歌集の原本は中原家と親交があった地元の詩人が記念館に寄贈した。現存するのはこの1冊だけという。

     同館の池田誠学芸員は「忠実に複製しており、詩人・中也の原点に触れることができる」と話している。

    苦境の中誇るべき仕事 関川夏央さん

     文学館の取り組みについて、作家で日本文芸家協会常務理事の関川夏央さん(67)=写真=に聞いた。

     文学館が地元に縁のある文学者の絶版本を復刊している取り組みは、貴重な努力だと思います。ことに村上春樹以前、世界各国でもっとも広く読まれた日本文学である火野葦平の「麦と兵隊」の復刊は、意義深いことです。文学館の誇るべき仕事だと考えます。

     しかし九州に限らず、文学館の置かれた状況は厳しく、入場者は減少しています。美術館と違って作品そのものが必ずしも展示品とはならない文学館では、初版本や手稿、作家の写真などで観客を呼び込み続けることは困難です。原稿がコンピューターでデータ化された現状では、手稿はもはや生産されず、劇的な推敲すいこうぶりを示すゲラも出現しません。

     インターネットの普及で「発信」する人は激増し、「紙の本」を読む人は着実に減りました。文芸書を買う人はまれで、文学は「近代歴史遺産」となり、文学館の集客力は衰えました。

     文学館の存在理由を真剣に考え、将来を見通していく必要がありそうです。環境がさらに厳しさを増す今後、旧作復刊に挑む九州の文学館の試みは高く評価されるべきでしょう。

     文学産業が縮小する趨勢すうせいは避けがたいとしても、やはり文学は人が生きるためには欠かせないのです。

    2017年08月08日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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