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    <4>オペラで半生描く

    故郷訪れ理解深める

     〈幾時代かがありまして/茶色い戦争ありました

     幾時代かがありまして/冬は疾風吹きました(中略)

     サーカス小屋は高いはり/そこに一つのブランコだ/見えるともないブランコだ

     頭さかさに手を垂れて/汚れ木綿の屋蓋やねのもと/ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん〉

     昨年11月、東京都墨田区の「すみだトリフォニーホール」。中原中也の半生を描いた「合唱オペラ『中也!』」が上演された。その序盤、代表作「サーカス」の一節が、ピアノの伴奏で合唱された。

     演じたのは、指揮者の栗山文昭さん(74)が音楽監督を務める合唱団「きょう」(東京)。団から作品制作を依頼された詩人の佐々木幹郎さん(69)と、東京音大教授の作曲家・西村朗さん(63)が、中也を題材に選んだ。佐々木さんは中也研究の第一人者で、現代詩人の登竜門「中原中也賞」(山口市主催)の選考委員を長年務めている。

     出演した団員は、約70人。夜間や休日に仕事の合間を縫って練習を積んできた。中也の詩と生涯、時代背景を分担して調査。ある女性団員は、中也の故郷・山口市湯田温泉を訪れ、中也の墓や中原中也記念館を巡った。写真や資料は、他の団員と共有して理解を深めた。

     「無我夢中で学んで稽古した」。千葉県職員で、団代表の堀津誠さん(57)はこう振り返る。堀津さんはテノールで、中也役を務めた。

         ◇

     オペラは、上京して本格的に詩作を始めた頃からの中也を描いている。女優の長谷川泰子と同居したが、親友の小林秀雄に泰子を奪われた。26歳で遠縁の上野孝子と結婚。翌年に長男の文也が誕生したが、わずか2歳で他界した。

     「俺が悪かった。俺の詩が文也を殺してしまった」。長男を失った場面で、中也は舞台でこう叫んだ。

     失意の中、まもなく自らも病で世を去った。

     〈風が立ち、なみが騒ぎ、/無限の前に腕を振る。〉

     「盲目の秋」の一節が繰り返し歌われ、1時間余りの熱演が終わった。観客約1000人の拍手が鳴り響いた。

     「中也の存在はあまりに大きく、最後まで真の姿に届かなかった。だが、全力で演じ切った」。堀津さんは、穏やかに自らを省みた。

         ◇

     〈ある朝 僕は 空の 中に、/黒い 旗が はためくを 見た。/はたはた それは はためいて ゐたが、/音は きこえぬ 高きが ゆゑに。〉(「曇天」より)

     オペラでは、この詩も合唱された。度々、軍人が行進して、軍靴がかしがましく響く場面があり、ピアノの独奏でも不協和音が奏でられた。

     「中也は二つの世界大戦の狭間はざまを詩人として生きた。大衆は戦争に吸い込まれたが、押し流されず、自立して言葉を紡ぎ続けた。今の時代こそ、周囲に流されず、自らの言葉を見つけることが求められる」

     佐々木さんはこう解説する。生誕110年である今年、中也の故郷で上演し、伝えたいと願っている。

    〈同時代の文人たち〉

    林芙美子 市井の人々描く

     林芙美子(1903~51年)は下関市出身で、北九州市出身説もある。小説「放浪記」「浮雲」など、社会の底辺に生きる市井の人々の生活や心理を描いた。

     幼い頃、行商人の子として各地を転々とし、貧しい生活を送った。広島県内の高等女学校時代に詩などを書き始め、卒業後に上京。飲食店や工場などで働きながら執筆を続けた。

     1930年に、貧しくもたくましく生きる女性を描いた自伝的小説「放浪記」を刊行。戦時中は陸軍報道班員として東南アジアに派遣された。心臓麻痺まひにより47歳で急逝した。

     市民団体「林芙美子メモリアルの会」の代表世話人・野村忠司さん(79)=写真=は「幼い頃の貧困と放浪の経験が作品の原点。生きる上での苦労や悩みが、的確かつ分かりやすく描かれている」と話している。

     ◇「紡ぐ・中也生誕110年」へのご意見をお寄せください。宛先は山口総局(yamaguchi●yomiuri.com、送信の際は●を@に変えてください)。

    2017年01月06日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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