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    自分がもし本屋を開いたら――。本好きな著名人が登場し、書店主になりきります。

    11月の店主は清水真木さんです

    「哲学者の穴」で考える

     二〇年近く前に公開されたアメリカ映画に「マルコヴィッチの穴」という作品がある。俳優ジョン・マルコヴィッチの頭の中に入る「穴」をめぐるコメディである。

     私が妄想する書店に名を与えるなら、それは、「哲学者の穴」である。すなわち、哲学者の頭の中に入る穴のある書店である。

     私は大学の教師である。専門は哲学である。このような立場に身を置くと、見ず知らずの人と次のような会話を交わすことが少なくない。


    〈相手〉「御専門は?」 

    〈私〉「(少しためらってから)……哲学です」

    〈相手〉「へえ、どんな哲学ですか? ドイツ? フランス? ギリシア?」

    〈私〉「(歯切れ悪く)まあ、いろいろ」

    〈相手〉「へえ、いろいろって、たとえば?」

    〈私〉「(迷惑そうに)本当にいろいろなんです」 

    〈相手〉「(うさんくさそうな顔で)そうですか……」


     もちろん、たとえば「ニーチェをやっています」という答えなら、相手を満足させるのであろう。しかし、哲学者が哲学者であるのは、過去の哲学者に関する詳しい知識のおかげではなく、何よりもまず、「気になることを考え続ける」しつこさのおかげである。だから、哲学の研究者の多くは、たとえば「ニーチェ屋」のようなレッテルを嫌う。答えが「いろいろ」とならざるをえない理由である。

     とはいえ、答えに正確を期すため、「哲学っていうのは考えることなんですよ」などと言い放ち、自分のテーマを説明して相手を退屈させるのもまた、本意ではない。「どんな哲学ですか?」と問われ、「いろいろ」と答えるのは、哲学者が横着だからではない(と信じたい)。これは、自分と相手を傷つけないための、思いやりある答えなのである。

     それでは、「考える」とは何をすることであるのか。これを知るには、哲学者が「考える」現場に立ち会い、思考をなぞる以外にみちはない。つまり、「哲学者の穴」に入り、みずから考える他はないのである。読者に対し自分で考えることを促す哲学書をひもとくことが、哲学の実質である。

     「哲学者の穴」には、書物の代金という入場料が必要であるけれども、再入場に追加料金は不要であり、時間に制限はない。著者である哲学者を煩わせることもない。もちろん、この書店には、穴のだまし絵(=哲学者の「学説」を整理した本)などない。あるのは、本当の「穴」だけである。

     しみず・まき 1968年生まれ。明治大教授。哲学、哲学史専攻。著書に『新・風景論』『感情とは何か』『これが「教養」だ』など。

    店主の1冊

    ●『〈子ども〉のための哲学』(永井均著、講談社現代新書、740円)問いをみずから発見し、この問いに答えるための自立した思考が実演される。同じ著者の他の作品と同じように、非常に見通しのよい「哲学者の穴」。


    ●『メノン』(プラトン著、渡辺邦夫訳、光文社古典新訳文庫、800円)いわゆる「イデア論」が形作られる直前の時期の対話へん。哲学に固有の多様なトピックの生成に立ち合える。

    ●『思考と動き』(アンリ・ベルクソン著、原章二訳、平凡社ライブラリー、1600円)哲学の完全な初心者なら、著者の言いたいことがわかったとき、世界の相貌そうぼうが一変するはず。

    ●『ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」を読む』(野矢茂樹著、ちくま学芸文庫、1200円)テクストを読む作業の中で哲学する可能性を限界まで追求する。解説書ではない。

    ●『芸術作品の根源』(マルティン・ハイデッガー著、関口浩訳、平凡社ライブラリー、1300円)呪文のような文章を繰り返し読むことで、見通しの悪い穴が少しずつ見えてくる。

     丸善丸の内本店(JR東京駅前)の3階で、近日中に清水真木さんの「空想書店」コーナーが登場します。

    2017年11月22日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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