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    自分がもし本屋を開いたら――。本好きな著名人が登場し、書店主になりきります。

    5月の店主は朝吹真理子さんです

    朗読 音楽のように聴く

     ザルツブルクにいるとき、ひとりの女性と親しくなった。あなた日本で小説を書いているの? と声をかけられた。マイヤはデトロイトで本屋と手作りの小さな個人誌の出版をしていた。写真で見たマイヤの店は、りガラス越しに自然光が入る居心地の良さそうな店で、生成りのソファと観葉植物が置かれていた。

     本屋で朗読会を定期的にひらいているけれど、毎回客の面子メンツが限られてしまうから、web上で朗読を公開するのはどう思うか、と聞かれた。最近も西アルメニア語の詩の朗読会をひらいたら、アルメニア語が母語の自分でも全然何を言っているのかわからなかった、とマイヤが言う。詩は音楽だから、言葉がわからなくても声を聴いていたいと私は話した。ジョイスが朗読するフィネガンズウェイクとか、よくわからないけど声を聴くと作品の距離が近くなる。そういうとマイヤは笑顔になって、好きな詩人は誰? と言った。エミリー・ディキンスン。わたしも。二人でエミリーの詩の好きな一節を伝え合った。

     英訳された日本の詩人のおすすめをたずねられて、西脇順三郎とこたえたけれど、マイヤは読んだだろうか。マイヤがザルツブルクを去る日、私たちは朝食を一緒にとって、連絡先を交換した。私の小説も朗読をした音を送ることになった。デトロイトに遊びに来て、東京に来て、そう言って別れたけれど、まだ互いに行き来はしていない。

     マイヤはアルメニア語が母語だと言っていた。そういえばマイヤはデトロイトに来る前はどこにいたの? マイヤは答える代わりに、長袖をまくって、腕の内側をみせた。手首から肘裏にかけて、静脈のラインに沿って、二本線のタトゥーがみえた。チグリスとユーフラテス。私はバグダッドで生まれて、ここで育った。そういって二つの川の上流の方を指でさししめした。家族でアメリカに来たけれど、自分たちの大切な川のすがたを忘れまいと彫っていた。その刺青の青が忘れられない。

     あさぶき・まりこ 1984年東京都生まれ。作家。2010年に『流跡』でドゥマゴ文学賞、11年に『きことわ』で芥川賞を受賞。最新作は『TIMELESS』(新潮社、6月刊行予定)。

    店主の1冊

    ●『時間ときの園丁』(『武満徹著作集3』所収、新潮社、5000円)言葉が音楽だと思ったのは武満徹の言葉を読んだからだ。朗読が好きなのも言葉は発音するたびに言語の泉に、新鮮な水が供給されるからだ。「できれば、鯨のような優雅で頑健な肉体をもち、西も東もない海を泳ぎたい」(「海へ!」)。

    ●『青天有月』(松浦寿輝著、講談社文芸文庫、1700円)言葉を読むことの心地よさを本書で知って、とりこになった。光と記憶をめぐる言葉にひたすら漂うことのよろこび。

    ●『青の美術史』(小林康夫著、ポーラ文化研究所、1800円、品切れ)青についてのみつづられた美術史。私たちが目を奪われている空や海の青が光の屈折であることの不思議さ。

    ●『ブルーシート』(飴屋法水著、白水社、2000円)美しい戯曲。ブルーシートに女の子が包まれてゆくシーン、隠されたものがかえってあらわになる人工染料の明るさ。

    ●『夏への扉』(ロバート・A・ハインライン著、福島正実訳。ハヤカワ文庫、740円)愛猫の探す、扉のむこうにみえる青空にかれた。十代のときに読みたい本。

     丸善丸の内本店(JR東京駅前)の3階で、近日中に朝吹真理子さんの「空想書店」コーナーが登場します。

    2018年05月23日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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