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    本にまつわるさまざまな話題を特集します。

    お題は「猛暑知らず ヒヤッとする本」<2>

     今週は「本よみうり堂」恒例、夏休みの1冊特集。「猛暑知らず ヒヤッとする本」というお題に答え、膨大な読書量を誇る読書委員らが選んだ究極のクールな本の数々。地球規模で寒くなったり、体の底や心の奥から冷たくなったり。この本さえあれば、クーラーも扇風機も不要。せみ時雨に包まれて読書に励みましょう。

    大井篤著『海上護衛戦』(角川文庫、800円)

     奈良岡聰智(政治史学者・京都大教授)

     毎年八月になると、「先の大戦」について改めて考えさせられるが、大戦中の日本海軍を描いた著作として、本書をおすすめしたい。著者は、海上護衛総司令部に勤務した海軍軍人。シーレーン防衛への認識が甘かった日本海軍が、海上護衛に力を振り向けなかった結果、タンカーや輸送船が次々に沈められ、敗戦に至った経緯が、悔恨を込めてつづられている。

     そもそも戦前からこの事態は予測されていた。にもかかわらず、日本が開戦に突き進み、非合理な戦い方を続けていたことに慄然りつぜんとさせられる。この経験からみ取るべき教訓は重い。

    ヘンリー・ジェイムズ著、土屋政雄訳『ねじの回転』(光文社古典新訳文庫、914円)

     納富信留(ギリシャ哲学研究者・東京大教授)

     分厚い小説を何冊も抱えて避暑地に向かう。学生時代のそんな経験からも遠ざかってしまった。長編を読みふけった時間に暑さの思い出はない。

     真夏の一日、イングランドの田園風景を思い浮かべながら、こんな中編を読むのはいかが。人間の心理がみせる底知れなさ、語りが引きおこす緊張、幾重にも読みこめるストーリー、小説としての面白さが凝集したジェイムズの傑作だ。

     ネタバレになるあら筋紹介はしない。でも、ご心配なく。この小説をストーリー解説で理解はできない。ひんやりする読書を堪能してください。

    フリッチョフ・ナンセン著、加納一郎訳『極北 フラム号北極漂流記』(中公文庫、品切れ)

     服部文祥(登山家・作家)

     19世紀末、北極海の氷が動いていると予想したナンセンは強固な船フラム号を造り、氷に閉じこめられたまま漂流して、北極点に迫ろうとする。もくろみは成功するかに見えたが、船は北極点から離れた海上を通過した。ナンセンは船を離れ北極点を目指すも断念。陸地にも船にも帰還できないと判断したナンセンは、北極海に浮かぶ島で越冬する。岩小屋を造り、撃ち取ったシロクマを食べ、太陽がまったくでない極夜の下、1日20時間眠る。春になり再び南へ出発しようとしたナンセンはライフルの残弾を確認して、まだ数回越冬できるとつぶやいた。

    夢野久作著、東雅夫編『夢Q夢魔物語 夢野久作怪異小品集』(平凡社ライブラリー、1500円)

     土方正志(出版社「荒蝦夷」代表)

     没後八十年余を迎えて、夢野久作ブーム到来である。国書刊行会から定本全集が刊行中、新潮文庫や創元推理文庫からも傑作集が、かと思えば怪談専門誌「幽」で特集も組まれた。奇書『ドグラ・マグラ』で知られる幻魔怪奇の作家の奇想幻想古典群が、新たな読者を巻き込んで、二一世紀への進撃を始めたか。本書は「幽」編集顧問にして文芸評論家・アンソロジストの編者が編んだ小品集。夢Q入門にし、収録作品の妙を楽しむに善し。ゴロリ寝転がって「ムマモノガタリへ、マ・ミ・ム・メ・モウ!」(帯より)と、盛夏の読書をお楽しみいただければ。

    幸田 あや 著『黒い裾』(講談社文芸文庫、1200円)

     三浦瑠麗(国際政治学者・東京大講師)

     表題の短編は、喪服が表すひとりの女の人生を鋭く切り取る。暑いさ中に着物とは、と思う方もおられるだろう。そのうえ弔事にしか着られない喪服。

     幸田文さんの着物への執念は、なかなかすごいものがある。けれど、この短編には華やかさもなければ、豪華な錦織も登場しない。人生の主役になれない女。落ち着いた気働きが評価され、女としても評価される晴れの場が弔事のとき、という逆説。

     控えめにしぼのたった黒い縮緬ちりめん地に大きなはさみがじょきじょきと入れられるとき、読む方の背中もぞくっとする。だが、そこには確かな生がある。

    ジェームズ・R・チャイルズ著、高橋健次訳『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』(草思社文庫、1400円)

     宮部みゆき(作家)

     親本は二〇〇六年十月刊、文庫版は今月三日に出たばかり。著者はアメリカの技術評論家です。豊富な実例のなかには「コンコルド墜落」「チェルノブイリ原発事故」「インド・ボパールのユニオンカーバイド殺虫剤工場毒ガス漏洩ろうえい事故」など、その一件だけでまとまった本が書けそうな巨大事故も含まれています。一方で「ハッブル宇宙望遠鏡の主鏡研磨失敗」のような科学読み物らしいネタもあるのが面白い。各章の章題が的確でキャッチーですが、第十一章の「少しずつ安全マージンを削る人たち」にはなりたくないものです。ぶるぶる。

    原宏一著『床下仙人』(祥伝社文庫、571円)

     柳川範之(経済学者・東京大教授)

     表題作も、今の日本社会の構造を最後にあらわにしてひんやりさせられるが、インパクトがあるのは、『派遣社長』という短編。

     派遣社員がいるのになぜ派遣社長がいてはいけないのだという発想から、奇想天外な話が展開する。しかし、出版されてから18年たった今読むと、オチも含め、かなり現実的な話にみえるのだ。これからは、人工知能に仕事が奪われるとも言われる時代だが、20年足らずで、現実の働き方が既に不思議な世界を描いたはずの小説に追いつきかねないほど変化しているという事実は、多くの人の首筋を寒くさせるのに十分かもしれない。

    梅原猛著『隠された十字架』(新潮文庫、840円)

     橋本五郎(本社特別編集委員)

     梅原さんの『親鸞「四つの謎」を解く』の書評で、梅原哲学は「蜘蛛くもの巣」にも似て、この世界に迷い込んだら逃げられなくなる、と書いたことがある。その“呪縛”の初体験が『隠された十字架』だった。

     法隆寺夢殿の救世ぐぜ観音には恐れ多くも大きなくぎが頭の真後ろから深く突き刺さっている。それは聖徳太子の怨霊鎮魂の寺だったからだ! 専門家でない私たちに真実は分からない。しかし、本人さえ書きながら恐ろしくなったという。45年前、初任地の浜松で深夜読み終わりぞっとして後ろを見てしまった日のことをありありと思い出す。

    米澤敬著、日下明イラスト『はかりきれない世界の単位』(創元社、1600円)

     尾崎真理子(本社編集委員)

     小さい頃、宇宙の果てまでの距離、なんてことを想像すると、頭がクラッとして背筋が冷たくなった。その感覚がよみがえったのが世にも不思議な、50種の単位を紹介したこの新刊だ。

     たとえば仏教の最小時間単位は「刹那」で、一刹那は75分の1秒とされる。「メトン周期」とは太陰暦と太陽暦がシンクロする周期で、太陽暦の約19年に相当するという。怖い単位もある。「エルディー」とは毒物の効き目を表し、実験動物の50%を致死させる場合はLD50などと使う。ジョークのような単位も混じり、脱力の心地よさも。装丁、挿画も涼しい寒色系です。

    ジャック・リッチー、駒月雅子他訳『カーデュラ探偵社』(河出文庫、840円)

     番外編 よみうり堂店主

     米のミステリー短編の名手、ジャック・リッチーが8編のみ残した探偵カーデュラの登場作を中心にした短編集。祖国では城を持つ伯爵だったらしきこの怪力の探偵、青白くなぜか日光や十字架が苦手で営業時間は夜間のみ。Cardulaの文字をDを頭に並べ替えると……。

     読者に正体は明らかでも、決して正面から言及されない。「私は飲みませんので。少なくとも酒は」などとほのめかすさじ加減が絶妙でとりこに。ひねった展開とウィットに富む会話にほくそ笑んでいると後ろから、首筋にヒヤリと2本の長い牙をあてられるような感覚を味わえる。

    2017年08月18日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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