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    本にまつわるさまざまな話題を特集します。

    『TOKYO外国人裁判』1992年 高橋秀実さん

    恥こそが生きる証し

     デビュー作『TOKYO外国人裁判』の取材を始めたのは1989年。私が27歳の頃である。

     転職したばかりの編集プロダクションが解散となり、毎日ブラブラしていたところ、平凡社の月刊誌『QA』の編集長から「仕事しなさい」と叱られ、東京外国語大学卒だからと外国人問題をテーマに連載枠を用意されたのがきっかけだった。

     当時、日本には多くのアジア系外国人が「出稼ぎ」に来ていた。ほとんどが観光ビザで入国して働くという不法就労。マスコミも「外国人犯罪が急増中」などと騒ぎ、今でいうならトランプ米大統領のように彼らをすべて犯罪者のように扱っていた。その実態を探るべく、東京地方裁判所に設置されていた外国人専門の法廷に通ったのである。

     差別だ。

     すぐさま私はそう感じた。外国人の裁判には母国語の通訳人がつけられるが、彼らはほとんど通訳していない様子。法廷でいきなり「その言語はわかりません」と言い出したり、被告人が長々と弁明しているのにひと言で訳したり。警察での通訳を兼務している人も多く、法廷で無罪を訴えると、訳さないどころか本人をたしなめてしまう一幕もあった。日本人なら不起訴となるような軽微な窃盗事件でも彼らは実刑判決。明らかに「正当な裁判を受ける権利」を侵害されていたのである。

    • 29歳のころ。メキシコ・ティファナで
      29歳のころ。メキシコ・ティファナで

     私はある殺人事件の被告人を直接取材することにした。拘置所で本人に接見し、背景を知るべく彼の母国、フィリピンにまで出かけた。被告人に「殺意がない」という証拠を集めようとしたのだが、私の元には別のものが群がった。情状証人として家族を招聘しょうへいしたはずが、遠い親戚だと名乗る男が現われて「仕事はないか」と私にく。遅れてやってきた父親も面会には行かず、そのまま不法就労を始める。取材協力者からも「今月の家賃を貸してくれ」「結婚式の衣装代を立て替えてほしい」などと懇願され、私は恋人にまでお金を借りて工面した。そして被告人の親戚の叔母さんからはこう問われた。

     「あなたはこの取材で得するの?」

     私は返答に窮した。「真実を追究する」つもりだったのだが、個々の真実に私が追究されるようで気が遠くなったのである。

     連載は最終回を迎え、単行本化されることになったのだが、私はすべてをゼロから書き直したくなった。「差別」という観念にとらわれたために、多くのことを見落としていたにちがいない。「差別」を知って原稿が書けると安堵あんどした自分の真実も記すべきではないのか。ともかく出版は延期してほしい、と編集長にお願いしようとしたのだが、妻にこう宣告された。

     「出さないと離婚する」

     マジで? 私は再び気が遠くなった。ほとんどヒモ状態だった私にとって離婚は死刑宣告のようなもの。他に選択肢はなかったのである。

     書くことは恥をかくことだと私は思っている。本書は最初にかいた恥であり、リベンジするために次の作品を書いたのだが、さらに恥が重なり、書けば書くほど恥は上塗りされていく。しかし恥こそが生きている証し。それをきちんとかくことこそがノンフィクションなのだ。

    【近況】 月刊誌『文學界』(文藝春秋)にて「悩む人」、『新潮45』(新潮社)で「めくるめくパワースポット」、ウェブマガジン『WEBasta』(ポプラ社)では「定年入門」を連載中。今年6月、恥ずかしさの極みともいうべき単行本『日本男子♂余れるところ』(双葉社)を刊行予定です。

    プロフィル
    たかはし・ひでみね
     1961年、横浜市生まれ。『ご先祖様はどちら様』で小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。他に『からくり民主主義』『人生はマナーでできている』など。
    2017年03月01日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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