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    本にまつわるさまざまな話題を特集します。

    『戦後国際秩序とイギリス外交』2001年 細谷雄一さん

    青春時代の希望と不安

     青春とは、希望と不安が結びつくことで生まれてくる。そのどちらが欠けていても、美しい青春とはならない。

     20代の頃。私にとっての不安とは、将来収入を得て、食べていけるかどうかだった。大学院に進学して、研究者の道を歩み始めても、凡庸な私の頭脳で大学教員などになれるのだろうか。そもそも組織が嫌いな私が、組織で働けるのか。

     私にとっての希望とは、本を書くことであった。本を書くことができたら、どれだけ素晴らしいだろう。装幀そうていのデザインから、本のサイズから、タイトルから、全てがいとおしい。それは自らの世界であり、宇宙である。本を書くことは、自らの宇宙を創成することである。だから、それは単著でなければならない。

     学者の世界は、学術論文を査読誌に掲載し、英語で世界に発信することが求められる。そんなことは私にとっては、どうでもよかった。それは私よりも頭の良い方にやって頂こう。私の場合は、学者になって、本を書きたかったのではない。本を書きたかったから、学者になったのである。

     博士号の学位を授与されて、間もない2000年の春。20世紀の終わりが間もないこのとき、私は20代の終わりを迎えていた。

     老舗の出版社である創文社の編集者の方から、電話を頂いた。東京大学の藤原帰一教授が、私が学会の懇親会ではじめてお会いした際に挨拶あいさつの代わりにお渡しした論文をお読み頂き、博士論文を単著として刊行するようにご推薦頂いたのだ。これほどうれしいことはない。そして、麹町こうじまちの社屋を訪れて、編集者の方にお会いする約束をした。

     有楽町線麹町駅から歩いて5分ほどのところに、創文社がある。そこで、自らこういった本を書きたいという夢を語った。そして、優れた能力を持つ編集者の相川養三さんと山田秀樹さんのお二人が、その夢を実現するお手伝いをしてくれた。それにしても、無名の、将来性もない若手国際政治学者の単著を、躊躇ちゅうちょもなく刊行してくださるとはなんと勇気があるのだろう。

    • パリに友人を訪ねた細谷さん(左、2001年)
      パリに友人を訪ねた細谷さん(左、2001年)

     2001年11月に私の1冊目の単著である『戦後国際秩序とイギリス外交』が刊行された。このとき私は、任期付きの専任講師として北海道大学で教えていた。しかしあと半年で失職する。次は決まっていない。同じ月には、私と妻の間に長女が誕生した。娘が元気よく誕生し、また初の単著が無事刊行され、希望にあふれていた。だが、次の春には仕事がなくなる不安が目の前にあった。

     幸い、次の春には千葉県の小規模な私立大学の敬愛大学で専任講師として雇って頂き、さらに初の単著もサントリー学芸賞を頂けることが決まった。私の青春時代が終わりを告げようとしていた。あわせて、私を包んでいた不安の数も減っていった。

     昨年の夏に創文社から久しぶりに、一通の手紙が届いた。厳しい出版不況の波にのまれて、あと数年で解散する見通しであり、それとともに販売も終えるとの連絡であった。寂しさがこみ上げてきた。私の本の文章の中には、青春時代の私が抱えていた希望と不安がにじみ出ている。

     はじめての単著を出してから15年ほどが経過した現在でも、本を書きたいという希望は変わらない。一冊の本には、その著者の希望と不安の物語が詰まっている。

     出版社が解散することによって、もう書店で購入することができなくなる私の最初の単著。青春時代の希望と不安の記録として、つねに手元に一冊置いておこう。

    【近況】 昨年は『安保論争』(ちくま新書)と『迷走するイギリス』(慶應義塾大学出版会)の二冊を刊行した。一昨年に刊行した新潮選書の『歴史認識とは何か』の続編、〈戦後史の解放2〉を今夏に刊行すべく、執筆を進めている。歴史的な視座から現代の国際政治を論じる毎日である。

    プロフィル
    ほそや・ゆういち
     1971年、千葉県生まれ。慶応大教授(国際政治学)。著書に『倫理的な戦争』(慶応義塾大学出版会、読売・吉野作造賞)、『国際秩序』(中公新書)など。国際政治だけでなく、日本外交に関する評論などで論壇でも活躍。
    2017年03月29日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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