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    本にまつわるさまざまな話題を特集します。

    『青春クロスピア』1985年 唯川恵さん

    背伸びせず等身大で

    • 少女小説を書いて5年目に上京した、30代半ばの唯川さん
      少女小説を書いて5年目に上京した、30代半ばの唯川さん

     小説家になった自分を今も不思議に思う。

     子供の頃から書くことは好きで、日記のような散文のような詩のような文章をノートにつづっていたが、まさかそれが生業なりわいになるなんて想像もしていなかった。

     生まれ育ったのは石川県金沢市。すぐそばに浅野川が流れ、学校から帰るとランドセルを放り出し、そのまま川に遊びに行くような野生児的な子供だった。本も読んだが、夢中になっていたのは漫画の方だ。あの頃、下校時に貸本屋に立ち寄るのが日課だった。

     就職したのは地元銀行で、ちょうど業務がオンラインに移行する頃でもあり、コンピュータールームに配属された。その頃はごく当たり前に、五年ほど勤めたら結婚するものと思っていた。

     実際、適齢期と呼ばれる時期に入ると、友人たちは次々と結婚していった。自分もそうなるものと思っていたが、どういうわけかそうならない。今まで周りと同じように生きて来た。これからもそうに違いないと思い込んでいた私は、その時初めて、人はみな同じようには生きられないのだと気がついた。その頃から、どう生きればいいのか、葛藤が始まった。遅過ぎる自我の目覚めだった。

     ひとりで生きてゆくためにも、手に職を持ちたいと思った。ただ、どんな職かとなると見当もつかない。習い事もたくさんしたが、どれも続かない。そんな自分にうんざりし、挫折感を綿々とノートに綴る日々を過ごした。

     そして、ふと気付いた。習い事はどれも続かなくても、書くことだけは続いているではないか。だったら小説を書いてみるのはどうだろう。そんなシンプルな発想のもと、原稿用紙に向かうようになった。二十七歳になっていた。

     書けば、やはり誰かに読んでもらいたくなる。しかし家族や友人に見せるのは恥ずかしい。だったらどこかに応募してみようか。落ちたって誰にも知られない。

     初めて書き上げた三十枚の短編を、純文学系の小説誌に応募した。当然ながら箸にも棒にも引っ掛からなかった。けれどもさほどショックは受けなかった。その頃にはもう、小説を書くという楽しみにすっかりとりつかれていたからだ。

     それ以降も何本かの小説を書いて応募したが、ことごとく落ちた。その頃になって、ようやく私も少し考えた。今まではやみくもに書いていたが、小説にはいろんなジャンルがある。背伸びをしないで、自分に見合った小説を書こう。そうして引っ掛かったのが、ジュニア小説の新人賞である。

     一年後、初めての本(文庫本だったが)『青春クロスピア』が書店に並んだ時はどんなにうれしかったろう。

     華々しいスタートというわけにはいかなかったが、出版されたことが嬉しくて、町でいちばん大きな本屋さんに行き、誰か手に取ってくれますように、と、祈るような気持ちで辺りをうろうろしたのを思い出す。

     拙い小説だったと思う。しかし、その時の私にとっては精一杯だった。以来、少女たちに鍛えられながら、少しずつ小説家の道を進み始めることになる。

     あれから三十二年。始まりの一冊は、面映おもはゆさと嬉しさに満ちた少女小説である。

    【近況】 只今ただいま、九月に出版予定『淳子のてっぺん』のゲラと格闘中。女性登山家として、世界で初めてエベレスト登頂を果たした田部井淳子さんがモデルです。田部井さんの偉大な功績と、その温かな人柄が伝わってくれたらと思っています。七月から『セシルのもくろみ』が連続ドラマ化予定。

    プロフィル
    ゆいかわ・けい
     1955年生まれ。2001年の『肩ごしの恋人』で直木賞、08年、『愛に似たもの』で柴田錬三郎賞を受賞し、恋愛小説の名手として知られる。ほかの著書に、『一瞬でいい』『手のひらの砂漠』『 かない鳥は空に おぼ れる』など

    2017年05月31日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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