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    本にまつわるさまざまな話題を特集します。

    『ぶらんこ乗り』2000年 いしいしんじさん

    幼児期の創作が基本に

     三十代前半まで、東京で無茶なくらしをしていた。夏は公園で土まみれで眠り、冬は熊やうさぎの着ぐるみを着てふつうに電車に乗る。日が暮れると、保健所に無届けではじめた闇バーで、でたらめなカクテルを作りまくる。

     昼はライター稼業。「なんでも書ける」と自負していた。渋いエッセイ、旅行記、対談にインタビュー。不条理な味の短編小説、哲学寄りの批評も書いた。1000枚をこえる長編は没になったが、凡人どもに俺の作品がわかるか、と嘲笑していた。

     ある日発作が出た。アトピー性皮膚炎とぜんそくが同時にだ。まわりに起きる不幸はすべて自分がなにかした、あるいはなにかをしなかったせいで起きていると強くおもいこんだ。東京でのひとり暮らしは無理と診断され、大阪の実家に戻されることになった。仕事はすべてやめた。

     実家の「おばあちゃんの部屋」で、ゴロゴロしていた。そのうちふと、この同じ場所で、昔腹ばいで、絶対なにかしていた、と思いだした。強烈な身体の記憶だった。

     「なあ、俺昔ここで、腹ばいでなんかしてたかなあ」と聞いてみると、母がこたえた。「あんた、ずーっと、そこでそないして、おはなし書いてたやないの。毎日、まいにち」「へえ」 いわれてみればそんなような気もする。右手を畳の上でさらさら動かしてみる。「そういう、書いたもん、いま読んだらどんなんやろな。残っとったら、ちょっと恥ずかしいかもな」すると母は妙な顔をして「ぜんぶ残してあるがな。二階の四畳半の袋棚の、つづらのなかに」「え!」

    • 東京のバーで歌う、いしいしんじさん(1999年頃)
      東京のバーで歌う、いしいしんじさん(1999年頃)

     二階にあがり、ひとり、三つあったつづらの真ん中を棚から下ろし蓋をあけてみた。まるでずっとそこで待ち構えていたかのように、茶色い封筒が乗っていた。封筒に手を入れ、いちばん上のものをとりだす。画用紙の束だった。「たいふう 45ねん 10がつ9にち さく いしいしんじ」 これがまさしく僕の書いた、いちばん最初のおはなしだった。

     一読し、つづらに収め、蓋をした。夜中にまたそっと封筒から取りだし、夜明けまでくりかえし読んだ。「たいふう」はすごかった。もうすぐ五歳になる少年が、この世と別の世のぎりぎり縁にたち、その絶望的な溝にむかって、手抜きせず、あらゆるすべての切実さをもって、ことばの石を投げつけていた。

     ライター稼業で書いたものはすべてクソだとわかった。すべて、ひとに頼まれ、ウケを狙って書いた、点取り作文に過ぎない。自分がこの三十年で、自力で作ったものは、まともな文章は、この「たいふう」しかない。

     それがわかると、酒が抜けたみたいにすっきりした。僕には、これしかできなかった。でも、少なくとも、これはやれたのだ。とすれば、もう一度、これをはじめればいい。

     半年後、僕は「ぶらんこ乗り」という初長編を編集者に渡す。冒頭にはまるまる、主人公がはじめて書いたおはなし「たいふう」が収められている。たいふうにあおられ、ぶらんこは動きだし、そうしていまも、揺れつづけている。僕の書くものはすべて、「たいふう」の長いつづきだから、筆名も、五歳のときから変わらず、ずっとひらがなで通している。

    近況 京都新聞で「いしいしんじ訳源氏物語」を連載中。「僕が、その子ぉの世話役になったらあかんかな、あしながおじさん的な」など、現代の京都に響く、紫式部の声に耳をすませています。WEB日記「いしいしんじのごはん日記」は十六年目も好評無料公開中。http://www.mao55.net/

    プロフィル
    いしいしんじさん
     1966年生まれ。94年、会社員時代に書いた旅の日記『アムステルダムの犬』で文筆活動に。2000年に長編小説『ぶらんこ乗り』を発表。03年『麦ふみクーツェ』で坪田譲治文学賞、13年『ある一日』で織田作之助賞、16年『悪声』で河合隼雄物語賞。他の小説に『ポーの話』『みずうみ』など。

    2017年07月26日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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