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    本にまつわるさまざまな話題を特集します。

    『ルイジンニョ少年 ブラジルをたずねて』1970年 角野栄子さん

    書き直し重ね「書く人」に

     「ブラジルについて話をするのではなく、書くんだよ。きみが」。大学を卒業してから十年後、恩師、龍口直太郎先生からの突然の電話でした。大阪万博を前に、日本がものすごい勢いで国際化に向かっていた時代、「世界の子供」というシリーズを企画している出版社があるから、ブラジル編を書いてみないか、というお誘いなのでした。それまで私はずっと、熱心な「読む人」でした。「書く人」になるなんて、考えたこともありませんでした。そんなこと、無理無理! と受話器を握り締め、私は頭を横に振っていました。

     それでも、サンパウロでの二年間の暮らしを思い出してみると、同じアパートに住んでいた、十二歳の少年、サンバとサッカーに夢中のルイジンニョの姿がくっきりと浮かんできました。「彼はまさに典型的なブラジルの子供だった」と、少し気持ちが動き始めました。といっても、当時、私の娘は三歳。始終チョロチョロと動き回ります。落ち着いて机に向かう時間なんてありません。私は古い画板を引っ張り出し、紙を洗濯バサミで押さえて、肩から斜めがけにして移動可能な机に仕立て、こわごわ書き始めました。すると、不思議なことに、つぎつぎ書けるのです。ブラジルでの思い出は尽きず、一ヶ月半後には、三百枚書き上げていました。

     「できました! 三百枚書きました」。紹介された編集者に、意気揚々と電話をしました。帰ってきた言葉は、「えっ! あのー、お願いしたのは七十枚なんですけど……」。そんなぁ! これはもう駄目だと思いました。でも心優しい編集者は、「いいところもありますよ。書き直してみませんか」といってくれたのです。でも、三百枚を七十枚。無理な話です。頭ではそう思っているのに、私はなぜか、「やってみます」と答えていました。不思議な一瞬でした。

    • 1971年頃の角野栄子さん。左は娘のリオさん
      1971年頃の角野栄子さん。左は娘のリオさん

     初めから書き直すことにしました。どれひとつとっても大切なブラジルの思い出を泣く泣く整理しても、削れたのはせいぜい二十枚。また始めから書き直しです。それを十数回繰り返し、やっと七十枚に――。この繰り返しの中で、またまた不思議なことに、私は一生書いていきたいと思ったのです。本にならなくてもいい。ただ書き続けたい。もう、やめることはできない。

     この作品は『ルイジンニョ少年 ブラジルをたずねて』(ポプラ社)というタイトルで、めでたく出版。でも、あまり売れず、心優しい編集者に報いることはできませんでした。それからも毎日、新しい作品を書き続けました。そして次に本が出るのは、七年後のことになります。

    近況 6月に絵本『靴屋のタスケさん』(偕成社)を刊行。戦時中の少女と靴屋さんの短い出会いの物語。今後予定しているのが、『魔女の宅急便』のスピンオフ。三巻に登場したケケという変な女の子の話です。神奈川近代文学館(横浜)で「角野栄子『魔女の宅急便』展」を9月24日まで開催中。

    プロフィル
    かどの・えいこ
      1935年生まれ、東京都出身。出版社勤務後、59年から2年間、移民としてブラジルに滞在。85年出版の『魔女の宅急便』(福音館書店)は野間児童文芸賞などを受賞し、宮崎駿監督によりアニメ映画化(89年)された。2014年に旭日小綬章。

    2017年08月30日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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