『月と菓子パン』2004年 石田千さん
振り向けば大恩人の面々
ポルトガルに出かけた。
リスボンは、聞きしにまさる坂の都。駅までおりて、郵便局までのぼり、よろずやでコーヒーやビールを買う。
モザイクの道につまずき、立ちどまる。ずいぶんのぼったとふりかえると、きいろい路面電車が横ぎり、テージョ河のみなもがまぶしい。
ポルトガルのひとは、毎日こんなふうに立ちどまりふりむき、暮らしている。こころの代名詞サウダーデ(郷愁)という感情は、坂道の心身から湧き出たのかもしれない。
東京の赤坂、神楽坂。勤めたのも坂の町だった。
書店へのぼり、昼はギョーザめざして駆けおりる。坂下のそばやは出前迅速、バイクでのぼる。原稿用紙を買いにおりた。六時定時に終業、路地の銭湯につかって帰った。
嵐山光三郎さんの事務所の学生アルバイトで、そのまま十五年ほどお世話になった。
仕事は、電話番だった。嵐山さんは忙しく、東京にいない。日なたの机で、切れば鳴る電話を、カルタみたいにハイハイと受けた。
……チエちゃんは、もう娘みたいなもんだから。
嵐山さんは、いつもいってくださる。事務所におみえのみなさんも、嵐山さんのところのひとだからと、親切にしてくださる。あまりに楽しく居心地よく、嫁にもいかず
雑誌をめくると、第一回古本小説大賞とある。原稿用紙二十枚以上、賞金もある。
神保町の古書店には、お使いで通っていた。一日一枚書いて、二十日。そう思いカレンダーを見たとき、目玉のおくに、住んでいた千住の桜並木とでかい踏切が浮かんだ。
人生初の小説は、その二十日後にできた。選考委員に嵐山さんと親交のある方もいらして、照れくさいから筆名にした。姓名から一文字ずつとった。そのくらいなら、郵便屋さんも書きまちがいと思い編集部の返信を届けてくれる。
ビギナーズ・ラックはそんなふうで、二十一世紀はじめの年、ふたつの名を持った。
古書好きの情報誌「
三年後の二〇〇四年、はじめての本『月と菓子パン』が晶文社から刊行された。出版記念会には、ほんとうにたくさんの方がいらしてくださった。七光の金
あんのじょう、ほどなくふたつの名は共倒れとなり、夜逃げ同然に嵐山事務所を退社した。大貧乏になり、エッセイを書いて書いて、小説をさぼった。やせっぽちになり、若いころを知るひとには、目つきが悪くなったといわれた。
いまもいつも、もうやめよう、これが最後でいいやと思う。それなのに、書き終えるとまた目玉のおくに、だれかどこかが浮かぶ。それでまた、最後がのびる。
ぜいぜいのぼって、立ちどまる。ふりむくと大恩人のみなさんと、嵐山事務所の日なたが見える。
田村さんと中川さんには、この世ではもう会えない。この坂道では、いつでも会える。
近況
ポルトガルでは、南蛮