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    本にまつわるさまざまな話題を特集します。

    『肝心の子供』2007年 磯崎憲一郎さん

    「他者のために」想い強く

     取材を受けた際などにもしばしば話してきたことだが、私が小説を書き始めたのは、保坂和志さんに書くことを勧められたからだ。しかしそれより以前の数年間で、私の中には、小説家になるための下地のようなものが作られていたような気がする。

     転機は子供が生まれたことだった。三十歳のときに長女を授かるやいなや、私は子供を溺愛するようになってしまったのだが、もともと私は子供好きではなかった。会社に入って二年目の秋、社員の親睦を深めるためのレガッタ大会の手伝いをしていた私は、同期入社の友人から声を掛けられた、彼は既に結婚していて、奥さんとベビーカーに乗せた赤ん坊を連れていた。「可愛かわいいな」口からはそんな言葉を吐きながら内心では、若くして家庭を持って、負担と責任を背負いこんでしまったこいつは馬鹿ばかだな……私はそう毒突どくづいていた。

     自己中心的な、何て嫌なやつだろう! 事実、私の方こそが愚かで未熟だったのだ。そしてまるで過去からの懲らしめでも受けるかのように、生まれてきた長女は可愛かった、その可愛さは私の生活を一変させるほどだった。通勤電車の中でも、取引先との商談中も、私は子供のことばかり考えるようになってしまった、夜の飲み会は全て断り、仕事が終わるやいなや子供の顔見たさに大急ぎで帰宅するようになった。病気を患った子供へ親が臓器を移植した話を聞いても、私にはとてもそんな真似まねはできないのではないかと疑っていたが、実際に親になってみると、腎臓であろうと、肺であろうと、子供にならば躊躇ちゅうちょなくささげる用意ができている自分自身に、私は驚いた。

    • 1歳のころの長女と(1997年ごろ)
      1歳のころの長女と(1997年ごろ)

     しかし同時に、子供は他者だった。それはいくら愛してやまない我が子であっても、私とは別個の肉体を持ち、私が死んで消えた後も存在し続ける、という意味での他者だ。人間は年齢を重ねていく過程で、自分ではなく他者のために生きるように作られている、その他者が私の場合は子供だったが、子供にとって自分よりも大切な他者は、恋人かもしれないし、友人かもしれない、犬や猫のような動物という場合だってあるだろう。外へ、外へと広がる、そうした連鎖を考えたとき、もうそろそろ自分も、自分以外の他者のためになるような、外界に奉仕するような生き方をせねばならないのではないか? そんなおもいが生まれ、三十代を通じて私の中で強まっていった。

     だから私にとって小説を書くことは、その想いの実践に他ならなかった、小説を通じて自分という人間を知ってもらいたい、自己を表現したいという欲望ではなかった。デビュー作『肝心の子供』には、そうした考え方が過剰とも思えるほど、色濃く表れている。二作目の『眼と太陽』は芥川賞の候補作に選ばれたが落選した。自分の書いているものはごく一部の人にしか理解されないだろうと思っていたので、候補にして貰えただけでもありがたいことだったが、選評を読んで私は愕然がくぜんとした、選考委員の小川洋子さんはこう書いてくれていた。「受賞に相応ふさわしいと、一生懸命奮闘したつもりだが、力及ばず、残念だった」そのとき私は、私の書いた小説もまた、遠く離れた場所にいる他者であることを知った。

    近況 デビュー十年に当たる昨年は、長篇(ちょうへん)『鳥獣戯画』(講談社)を刊行できたことに加えて、福岡史朗さんという素晴らしいミュージシャンと出会えたことで、とても良い年になりました。福岡さんの音楽、お薦めですのでぜひ聴いてみて下さい。

    プロフィル
    いそざき・けんいちろう
     1965年千葉県生まれ。2009年「終の住処」で芥川賞、11年、『赤の他人の瓜二つ』でBunkamuraドゥマゴ文学賞。13年、『往古来今』で泉鏡花文学賞。三井物産勤務を経て、現在は、作家・東工大教授。
    2018年01月31日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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