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    本にまつわるさまざまな話題を特集します。

    『瞑鳥記』1974年 伊藤一彦さん

    生き方問う 故郷の鳥

     今の若い歌人たちはつぎつぎに第一歌集を出版している。私の書棚の一角に若い歌人の歌集をまとめて収めている。その場所はすぐにいっぱいになり本があふれる。短歌が高校生や大学生もふくめて若い世代に求められ、受け入れられていることの証左とも言えよう。

     私の二十代のころ、短歌は若者にとってマイナーの文芸だった。いわゆる「第二芸術論」の影響もまだ及んでおり、少し負い目をもちながら作歌に励んでいる者も少なくなかった。というより、その負い目をむしろエネルギーとして現代の短歌の創造に挑んでいた。

     私に作歌のきっかけを作ってくれたのは、早稲田の文学部のクラスメイトだった福島泰樹である。高校時代に悶々もんもんと自己否定的に悩み西洋哲学を専攻していた私だったが、哲学よりも詩歌に強い魅力を覚え始めていた、そんなときに福島と出会ったのだった。彼はすでに早稲田短歌会で活動し、短歌を熱く語っていた。やがて私も早稲田短歌会に入会した。短歌の何にかれたかと言えば、五句三十一音の形式のもつ定型空間の魅力だった。南九州の田舎から上京していた私にとって東京は「非定型」のカオスの場所であり、自己否定感情を増幅されて圧倒され続けていた。そんな私に短歌の定型はコスモスであり、心に居場所を与えてくれるように思えた。

     社会は高度経済成長の時代であり、宮崎から上京して進学していた同級生の多くは東京で就職した。しかし、私は帰郷する道を選び、高校の教師になった。福島が「お前は帰るために来たんだ」と言って激励してくれたのを忘れない。そして、卒業後は早稲田短歌会の卒業生の同人誌「反措定」で一緒に活動すると同時に、彼もすでに入会している「心の花」に入った。先輩の佐佐木幸綱の歌と歌論に惹かれてだった。佐佐木幸綱と福島泰樹に出会えたことが私の短歌人生の最大の幸運である。そうでなければ今日までの十四冊の歌集はなかった。

    • 高校教員を務めていた1970年頃の伊藤さん
      高校教員を務めていた1970年頃の伊藤さん

     作歌を始めて数年がたち、私も歌集出版を考え始めていた。地方にいて取り残されるのではという不安もあった。しかし、今とちがって若い歌人が歌集を簡単に出す時代ではなかった。まず経済的に大変だった。そのころ宮崎県でも最南端の串間市に住んでいた私を福島が訪ねてきてくれ、皆で金を出しあって「反措定叢書そうしょ」を作ろうと提案した。そのプランが実現し、私の第一歌集『瞑鳥記』が出版になった。昭和四十九年のことだ。タイトルに「鳥」が入っていることからわかるように鳥の歌が少なくない。

     ・おとうとよ忘るるなかれ天翔ける鳥たちおもき内臓もつを
     ・水のなか流せば鳥の喉の血は生きてゆたかに動くうれしも
     全身全霊で生きている鳥ほどに自分は生きているのか、という問いを故郷の鳥たちに突きつけられていた。東京に圧倒されたのでなく自分に負けただけではないのか、それでは故郷にも負けるぞ、生徒も教えられないぞ、故郷を安易に心の居場所にするな。その鳥の声は四十数年後のいまも聞こえてくる。

    近況 昨年暮れに新歌集『遠音よし遠見よし』を出版しました。できるだけ遠くの鳥の声に耳を澄まし、できるだけ遠くの山の姿に目を凝らしたいという思いです。北国の人には申し訳ないのですが、宮崎はこの冬も快晴の日が多く遠音よく遠見よしの毎日です。

    プロフィル
    いとう・かずひこ
     歌人、若山牧水記念文学館長。1943年宮崎県生まれ。高校教諭になり、過去の自分のように悩みを抱える子どもたちと接するカウンセラーを務めた。歌集『海号の歌』で読売文学賞。
    2018年02月28日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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