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    【文芸月評】農業で迫る人間の営み

    小さな生への共感息づく

    • 高村薫さん
      高村薫さん

     ベテランの高村薫さん(63)が、「新潮」2013年10月号から始めた連載小説「土の記」を完結させた。社会派ミステリーから出発し、『新リア王』で政治、『太陽をく馬』で宗教などと向き合った著者が、新作のテーマとしたのは、自然と農業だった。

     2010年の初夏、紀伊半島の宇陀うだ山地を舞台に物語は始まる。地区の棚田を耕す72歳の伊佐夫は、労力を軽くするため、苗の一株ごとの間を広く植える「疎植栽培」に取り組み始めた。苗が育ち、穂が出て、稲を刈る。稲の生育と農作業の様子が、細かく書き込まれる。

     その記述に、伊佐夫の重い過去が挟まれる。彼は東京から地区の農家に養子に入った。一人娘にも恵まれた後、交通事故で妻が寝たきりとなり、16年間、介護した末に死去した。妻の外出時の状況は不審な点が残り、娘は家に寄りつかなくなっている。

     実は高齢化の進む集落では、誰もが個人的な悩みを抱えている。配偶者を亡くした妻がいたり、妊娠して出戻った若い娘もいたりする。

     高村さんは本作で、東日本大震災により根源から揺さぶられた人間を、生命の源である食をつかさどる農の現場から捉え直そうとしたようだ。そのためには、政治や宗教などを扱う旧作と同じく、追体験するように農業の現実を詳細に追うことが必要だった。

     一方で、この小説は作家のコントロールを超え、人間をはじめ様々な生ける物が持つ艶やかな「気」が随所に漏れ出す。古事記や日本書紀とも縁が深い宇陀の地で、鳥は飛び、カエルは鳴き、棚田は耕され、太陽は照り映える。冷徹な作家が思わず、大地に足をつけた人間の営みの甘美さに溺れかけている。

     だが、最後にその魅惑的な土の世界を突き放す。戦後1600万人と言われた農業人口は、現在200万人に減り、平均年齢は66歳を超えた。作家は、土の世界を軽んじる現代人を憂え、長編の結末を峻厳しゅんげんに閉じざるを得なかった。

    • 高橋弘希さん
      高橋弘希さん
    • 中山咲さん
      中山咲さん

     新鋭の作品も、それぞれに熱がこもっていた。

     高橋弘希さん(36)の「スイミングスクール」(新潮)は、両親が幼いときに離婚した女性が主人公だ。愛犬の死、娘のスイミングスクール通い、神社の縁日、母の死……。さみしげな影を抱えながら、郊外の街で心優しい夫と9歳の娘を育てる姿を静かにつづる。

     戦争を扱ったデビュー作「指の骨」などから題材が変わったようでいて、微細な出来事をピンセットでつまむようにして物語の上に並べる精妙な手つきは変わらない。戦争が外側から人間を襲うように、心の傷は人間を内側からむしばむ。人の生を損ねるものと食い止めるもの。その緊張関係に一貫して目を向ける。

     破綻だらけの真っすぐさがいとおしいのは、中山咲さん(27)の「血と肉」(文芸秋号)だ。一人で出産を決意した妊婦が、海辺のラブホテルに住み込んで働き始める。老いた女性経営者はやがて、主人公に教会へ来るよう誘ってきた。性の欲望、宗教への関心、暴力の衝動。それら全てを長編に荒々しくぶつけた。

     一昨年の群像新人賞受賞者の横山悠太さん(34)は、短編「アジアの純真」(群像)を発表した。中国に留学した日本人とイスラム系の学生の短い交流を描き、多様な人間が住む世界の表面をなでた感触が残る。木村友祐さん(45)の長編「野良ビトたちの燃え上がる肖像」(新潮)は、格差社会が進む中、不安定な生活を送る側の人間に寄り添おうとする作家の決意がにじむ。

     2月に68歳で死去した津島佑子さんの遺稿「狩りの時代」の抄録が「文学界」に掲載されたことも話題を呼んだ。故人はかつて、『快楽の本棚』(中公新書)で、文学の意義をこのように語った。

     <文学を通じて、私は多くの、時代も場所もちがうすばらしい人たちと「直接」出会うことができたし、その人たちが存在しない世界は、今となっては考えられなくなっている>

     今月の文芸誌にも、普段は顧みられない人々の物語が多く掲載された。現代文学は、小さな生への共感を育み続けている。(文化部 待田晋哉)

    2016年08月04日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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