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    『狂うひと――「死の棘」の妻・島尾ミホ』出版 梯久美子さん

    夫婦愛の「神話」に挑む

    • 「『死の棘』は学生の頃初めて読んだと思います。当時は、文体が生理的に受けつけず、夫婦のこともよく分からなかった」=安斎晃撮影
      「『死の棘』は学生の頃初めて読んだと思います。当時は、文体が生理的に受けつけず、夫婦のこともよく分からなかった」=安斎晃撮影

     ノンフィクション作家のかけはし久美子さん(55)が、評伝『狂うひと――「死のとげ」の妻・島尾ミホ』(新潮社)を出版した。島尾家に残された夫婦の日記や未発表原稿などの新資料をもとに、壮絶な夫婦愛を描き「私小説の極北」と呼ばれた作品の実相に迫った。

     <そのとき私は、けものになりました>

     奄美大島に住むミホさんから、この言葉を聞いたのは2006年2月。半世紀前に夫の作家、敏雄の日記を見て、別の女性と情事にふけった事実を知った際の心情を語ったという。

     「まるで歌うようでした。あの言葉で、一度は『書ける』と思った。難しい人と聞いていたけれど、私は好かれていると感じていた」

     当時、『死の棘』のモデルになったミホさんの本を書こうと、05年から面会を続けていた。だがある日、取材は突然打ち切られ、彼女は07年、急死する――。

     没後、吸い込まれるようにその謎に挑んでいた。

     敏雄は戦中、特攻隊の隊長として赴任した奄美の加計呂麻かけろま島でミホさんと出会った。死と隣り合わせの状況で愛を育み、戦後結婚した。劇的な恋愛の反動のように『死の棘』では夫の不貞を執拗しつように問い詰め、平手打ちする姿を描く。その狂気は従来、「南島の巫女みこ」といった呪術的なイメージと重ねて読まれてきた。

     だが本著は、養女として育った彼女が少女時代は東京の女学校に通い、車の運転を習い、敏雄と知り合う前は婚約者がいて朝鮮に渡るなど「巫女」のイメージとは縁遠かったことを明かす。一見優しそうに見える夫の欺瞞ぎまんにも目を向ける。

     「日記などを照合すると、『死の棘』はほとんど事実に近いことが書かれている。旦那が浮気すれば女の人はあれくらいはすると思う。でも、敏雄は妻の詰問をやめさせたいと、病院に連れてゆき、自分も気が触れたふりをする。ミホさんの狂気を増幅した一面もあったのではないか」

     傷ついたミホさんは夫の死後、様々な言動を通して『死の棘』の愛憎に乱れた印象を取り除こうとした。公表された夫の日記に手を入れ、二人の世界を深く愛し合った夫と妻の物語に「神話化」した。それらを鬼気迫る筆でたどった。

     著者が第2次世界大戦中の硫黄島の戦闘を指揮し、死去した栗林忠道の人生を追った『散るぞ悲しき』で大宅壮一ノンフィクション賞を受けて10年が過ぎた。

     「『散るぞ悲しき』は栗林の生き方に感動し、埋もれた事実を伝えたかった。書く葛藤はなかった。でも今回はミホさんが築こうとした夫婦愛の『神話崩し』を結果として行った。彼女が敏雄から受けた『書かれることの暴力』を、私もこの本を書くことで振るう立場になった。悩んだけれど、非情になることが書くときは誠実になり得ることを二人に教わりました」

     <至上命令 敏雄は事の如何いかんを問わずミホの命令に一生涯服従す>。作家は失われた妻の信頼を取り戻すため、『死の棘』を書く前に誓約書を書いていた。

     「お互い計り知れないエネルギーで、書き、書かれ、愛し合った。私には、愛が何かよく分からない。でも、二人は生き切ったと思う」(待田晋哉)

     かけはし・くみこ 1961年、熊本県生まれ。北大文学部卒。編集者を経て文筆業に入る。著書に『昭和二十年夏、僕は兵士だった』『百年の手紙』『廃線紀行』など。

    お気に入り

     ★島尾ミホさんの著書 初めて奄美大島の名瀬でミホさんとお会いしたとき、サインをいただいた著書。『祭り裏』と『海辺の生と死』です。初めて読んだとき『死の棘』の妻が、こんなに素晴らしい作家だったのかと心底驚きました。

     ★ピルケース 海外に行っても自分のためのお土産はほとんど買わないのですが、いつからか買うようになりました。これは20年ほど前にトルコのイスタンブールで購入。家に50個ほどあるピルケースの中で一番のお気に入りです。

    2016年11月17日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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