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    『サラダ記念日』から30年 俵万智さん

    「好き」は歌いきれない

    • 「『サラダ記念日』のあとがきは、全文ソラで言えました。言葉に関しては、とことん粘り強くやります」
      「『サラダ記念日』のあとがきは、全文ソラで言えました。言葉に関しては、とことん粘り強くやります」

     「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日――。歌人の俵万智さん(54)が第1歌集『サラダ記念日』(河出文庫)を1987年5月8日に出してから今日で30年を迎えた。

     教科書で俵さんの歌を知った若い人は、『サラダ記念日』が一ページに3首並ぶ普通の歌集であったことを知ると、驚くという。「もっと特別な本かなにかのように感じるんでしょうね」

     30年前は、何げない会話を織り交ぜ、心に眠る思いを三十一文字にした歌そのものが衝撃的だった。〈また電話しろよと言って受話器置く君に今すぐ電話をしたい〉〈「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ〉

     大切な人とどこかに行った時間を振り返り、〈思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ〉と歌い、「この味がいいね」と君が言った日を記念日とする、小さきものへの特別な視線も新鮮だった。自ら題名に選んだ「サラダ記念日」は、「○○記念日」ブームを生み、280万部のベストセラーになった。

     30年たち、風俗の変化を感じる。〈「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの〉の固有名詞は今も通じるが、〈ただ君の部屋に音をたてたくてダイヤル回す木曜の午後〉は、もう伝わりにくいかもしれない、と語る。「今は固定電話のダイヤル回す人はいないし、スマホなどですぐにつながる時代ですから」

     「でも、すぐにつながる状況だからこそ、つながらないときの不安は大きい。好きと思う感情は、短歌と相性がよく、千年前から、あなたが好きと手を変え品を変え歌ってきましたが、まだ歌いきれない。そこに短歌の普遍性があります」

     変わったことがある。若い頃は「一人で生きる力をつけよう」と思っていたのが、出産し、「人と生きていく力をつけてほしい」と、子に思うようになった。「それまでは都会で一人、自立した気分でいたけれど、子育てでは多くの力を借り、完全な自立なんてありえない、と身にしみました」

     2011年の東日本大震災を機に仙台から石垣島に転居してからも、運転免許のない俵さんは市街地まで乗せていってもらったり、野菜をわけてもらったり、息子をときに乱暴に叱ってもらったり……。「自分の家庭にないものを島の人に補ってもらいました」

     運動が苦手で歩くのも嫌いだったのに、自然が日常の島ではカヌーをこぎ、よく海にも行った。〈潮満ちて終了となるモズク採りすなわちこれを潮時という〉

     5年間住んだ島から宮崎県に越して2年目。昨春は息子が中学に入り〈制服は未来のサイズ入学のどの子もどの子も未来着ている〉と詠んだが、1年で息子の背丈は10センチ伸び、俵さんの身長を超えた。時の速さを感じるが、変わらぬ人間の心を見つめる姿勢は今まで通り。文芸誌「文学界」5月号からは宮崎生まれの歌人の評伝「牧水の恋」の連載を始めた。「失恋はしても、嫌な恋をしたことはありません。恋は自分にとって大きなテーマです」(編集委員 鵜飼哲夫)

    俵万智さん自選五首 ~言葉をめぐる歌から

    愛持たぬ一つの言葉 愛を告げる幾十の言葉より気にかかる

    『サラダ記念日』1987年

    「もし」という言葉のうつろ人生はあなたに一度わたしに一度

    『かぜのてのひら』1991年

    「気分」という割りきれぬ語で返事する我を許せよ我の気分を

    『チョコレート革命』1997年

    みかん一つに言葉こんなにあふれおり かわ・たね・あまい・しる・いいにおい

    『プーさんの鼻』2005年

    まだ恋も知らぬ我が子と思うとき「直ちには」とは意味なき言葉

    『オレがマリオ』2013年

    ◎お気に入り

     ★ほぼ日手帳 朝起きてポッとしている時など、思いつくと手帳に歌をメモします。さあ、つくるぞ、と勇むと歌は逃げてゆくし、あんまりぼんやりしていると歌は通り過ぎてゆく。寝る前は酔っぱらっているのでつくりません(笑)。

    2017年05月18日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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