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    痛み、愛 乗り越えた先に…天童荒太さん

    『ペインレス』を刊行

    • 長く構想を温めてきた作品だった。「『ペインレス』を書けたことで懐も広がったし、高みも目指せるような状態になった」と手応えを語る
      長く構想を温めてきた作品だった。「『ペインレス』を書けたことで懐も広がったし、高みも目指せるような状態になった」と手応えを語る

     問題作という言葉は、この作品にこそふさわしい。天童荒太さん(58)の『ペインレス』(新潮社、上下巻)は、痛み、そして性愛の深みへと踏み込んでいく長編だ。刺激的で思弁的な物語は、読者の感情と想像力を奮い立たせる。

     「作品が時間を求めた。もう一つは技術を求めたと思う」と穏やかに語った。痛みをテーマに書く構想を抱いたのは、20年以上も前。そこから考えを深めてきた。

     主人公の万浬まりは聡明さと美貌びぼうを併せ持つ麻酔科医。〈すするんです。生き血をすするように。人の痛みを〉と語る彼女は、痛みを取り除くだけでなく、それを通じて社会や文化を理解しようと考えている。テロに遭って肉体の痛みを失った森悟しんごと関係を深め、過去に体験した痛みを取り戻そうとする老人・曾根を診察する。周囲の人物とスリリングな会話を重ねる中で、心に痛みを持たない万浬の本性が明らかになっていく。

     時間をかけて思索することで、社会の中で痛みが伏流のように意味を持っていることが見えてきた。「互いの痛みを理解し、避けようとするコンセンサスで世界は成り立っている。法律も便利さも、医療もそうして発展してきた」。精神的な痛みの深みに迫る中で、考察は愛にも及んだ。「愛しているものを失うと痛みを感じる。そこに恐怖を感じ、報復や紛争の根源にもなる」

     一方、『永遠の』や『悼む人』などの作品を書き、技術を磨き続けてきたからこそ、迫ることができた。大胆な性愛の描写だ。「エロスは死と同様に重要で、表現者になった時から、いつかは真剣に向き合いたかった。どうせ書くなら、世界で誰も書いたことがないエロスを書きたかった」。愛を感じることがない万浬は、他者を理解し、自らとの差異を感じるために、肌を触れあわせる。第二部では、自らの美しさと言動で周囲の人間を翻弄ほんろうしながら、自らが特異な人間であることを認識していく若き日の万浬が描かれる。曾根やその妻、美彌が、若き日に体験した倒錯的な性体験を含め、生々しい描写は多いが、脳科学や生理学の用語がちりばめられた文章は抑制的だ。

     過激な物語を読み進めるうちに、痛みや愛という、我々がこれまで信じてきた価値観が、徐々に揺さぶられていく。「アブノーマルなものを通じて人間世界を見るだけではなく、我々の限界を見つめる。その壁を乗り越えられるのか、乗り越える必要があるのか、という相克にこそドラマがあると思った。愛のために人が攻撃的になるのであれば、それに代わる価値観を提示する必要がある」

     『永遠の仔』や『悼む人』などの作品で多くのファンを得てきたが、作家は「読者を癒やすような作品を書こうと思ったことは一度もない」と言い切る。心に傷を負った人、つらい思いをしている人物を、表現者として限界まで書く。そんな姿勢が、読者の共感を呼ぶ力強い物語を生んできた。今作も、「自らの表現欲求に忠実に、すべてをここに出し切る」ことだけを考えて書き続けてきたという。

     「エロチシズム、思想、人間の限界と、それを乗り越える希望。活字ほど、想像力とともに伝えうるものはないという自信がありましたし、それを形にしてみせることが作家として必要だと思っていた」。活字の力を信じる作家の、力強いまなざしが印象に残った。(川村律文)

     ◇てんどう・あらた 1960年、愛媛県生まれ。86年に『白の家族』で野性時代新人文学賞を受けてデビュー。96年に『家族狩り』で山本周五郎賞、2009年には『悼む人』で直木賞、13年に『歓喜の仔』で毎日出版文化賞を受けた。

    ◎お気に入り

     ★ボトルストッパー 芸術家の三沢厚彦さんの小物です。三沢さんとは親しくさせていただいていて、家には大きな彫刻もあります。芸術品に囲まれているのは、気持ちがいい。きれいなもの、美しいもの、魂のこもったものなので。

     ★日記 主にこれから書こうと思っている作品について、1日3分から5分ほど、創作日記を書くのが日課です。伏流のように同時進行で考え続けていれば、いざ書くという時に、思考が深まったところからスタートできます。

    2018年05月24日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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