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    話題作の著者へのインタビューで、創作の意図、素顔に迫ります。

    『忘却の引揚げ史』 下川正晴さん

    女性の悲劇、誠実に発掘

    • 下川正晴さん
      下川正晴さん

     かつて福岡県筑紫野市にあった「二日市保養所」。この名称にピンとくる人が今、一体どのくらいいるだろうか。終戦直後、博多港だけで外地から約139万人が引き揚げてきた。その中に満州(現中国東北部)や朝鮮半島で暴行され、心ならずも妊娠した女性がいた。厚生省(当時)などが、中絶を希望する女性に超法規的に手術を施すため、約1年半にわたり開設した施設、それが二日市保養所だ。

     だが、ここほど不当な見られ方をしてきた施設はそうないだろう。まず、記事がほとんどない。「同じ女性の悲劇でありながら慰安婦問題の洪水のような記事量と比べると、あまりにバランスを欠いている」。加えて、数少ない記事の中には、国による強制堕胎というような事実を誤認したものもあった。逆に、この施設の報告書を曲解し、朝鮮人による暴行が多かったとする言説も一部でまかり通っている。これらの点への著者の批判はフェアだ。「一刀両断の歴史観は、右であれ、左であれ、信用しがたい」

     毎日新聞でソウル支局長や論説委員を務めてきた経験も踏まえ、単なる秘史の発掘にとどまらず、なぜ、このような扱われ方になったのか。考察はその点にも向かう。

     「新人記者の頃、先輩に習った取材の基本は、物事を縦、横、斜めから見ることだった。歴史という多面体への見方も同じであるべきでしょう」。その言葉を実践するように、著者は施設を巡る出来事を、後の東大教授・泉靖一ら施設に関わった人たちの個人史の集積として記載していく。

     7月末、施設跡に立つ「仁」と彫られた慰霊碑の周囲はひっそりとしていた。下に中絶された500人近い胎児が眠る碑の前でこう語った。「歴史の見方がマンネリズムに陥っていないか、反省すべきではないでしょうか」(弦書房、2200円)

    十時武士

    2017年08月15日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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