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    話題作の著者へのインタビューで、創作の意図、素顔に迫ります。

    『藤沢周平 遺された手帳』 遠藤展子さん

    悲痛の父、生き続けた訳

    • 遠藤展子さん
      遠藤展子さん

     1963年(昭和38年)。業界紙勤務の傍ら作家修業中だった30代半ばの藤沢周平(1927~97年)は、長女出生の8か月後、最初の妻をがんで亡くし途方に暮れた。

     「口数の少ない父が残してくれた手帳に私の知らない、当時の父の鬱屈うっくつが書かれていた。つらい時期をどう乗り越え小説を書き続けたのか。没後20年が過ぎ私も50代。手帳を公開してもいいと思えるようになった」。同年から直木賞受賞後の76年まで、日記代わりにつづった計4冊の手帳とノートを一人娘が読み解いた。

     妻・悦子さんを失った直後の言葉は悲痛だ。<悲しみは残滓ざんしのように重く心の中によどんでいる><写真をみる。悦子がそこに笑っている。悦子はどこに行ったのだろう>

     寂しさに耐え、創作を応援してくれた妻を作中に残すために書き、愛児のために生き続けたことが手帳から分かる。「父の時代小説で生母がモデルだと思える場面がある。私がいなかったら父はどうなったか」。<悦子の生命が、展子の中に生きている>

     藤沢は41歳で再婚後、45歳で直木賞を取るなど活躍するが、「編集者から褒められても有頂天にならず藤沢周平の小説世界を確立しようとしていた。執筆が進まない時の苦しみも書かれていました」。

     生の声を紹介し終え、「幼かった私を隣に置いて執筆するなど、かわいがってくれていたことを生前知っていれば、父にもう少し優しくしてあげたのに」と笑う。「一番言いたいのは、育ててくれてありがとうということ」

     今は、多くの時代歴史小説の名編を残した父の著作権管理や郷里・山形県鶴岡市の藤沢周平記念館の監修に携わる。「父の執筆を秘書的に支え昨年暮れ亡くなった私の育ての母(和子さん)にも、本を読んでもらえた。二人、20年ぶりに再会したかな」

     (文芸春秋、1500円)

     佐藤憲一

    2018年02月06日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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