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    話題作の著者へのインタビューで、創作の意図、素顔に迫ります。

    「『蝶々夫人』と日露戦争」 萩谷由喜子さん

    名曲誕生のドラマ

    • 萩谷由喜子さん
      萩谷由喜子さん

     神奈川県横須賀市の三笠公園に保存されている日露戦争当時の連合艦隊旗艦「三笠」の甲板上。ここでプッチーニのオペラ「蝶々夫人」の話を聞く。なぜか。「外交と音楽、まるで異なる二つの出来事が、日露戦争直前のイタリアで一瞬、交錯した。それを書きたかったんです」

     長崎が舞台の「蝶々夫人」には、「越後獅子」から「宮さん宮さん」まで日本の旋律が多く出てくる。それらを作曲家に歌って教えたのが、当時のローマ駐在日本公使・大山綱介の妻、久子だった。

     「長州藩家臣の娘に生まれ、外交官夫人としてローマ社交界の花形だった久子は、箏やピアノをよくした。日本の音楽を海外に紹介するという使命感から、日本から楽譜などを取り寄せて作曲家に口授したのでしょう」

     時は日露戦争開戦前夜。夫の綱介はジェノバで建造された最新鋭の巡洋艦2隻の購入を巡ってロシアとしのぎを削っていた。苦労の末に入手した2隻が横須賀に入港した翌日、1904年2月17日に「蝶々夫人」はミラノ・スカラ座で初演を迎える。日露開戦から9日後のことだった。

     「明治以降の洋楽受容には、今では忘れられてしまった多くの女性が関わっていた。その歴史をひもときたい」。音楽大学卒業後、音楽評論と女性音楽史研究に専心し、明治期の楽壇をリードした音楽家、幸田延・幸姉妹を紹介した『幸田姉妹』で注目された。

     大山久子は20年来温めていたテーマ。昨年、イタリア・チェッレのプッチーニ記念館で謡曲などを収めた最初期のレコードを発見した時は、胸が躍ったという。「久子が『蝶々夫人』初演後に贈ったものでしょう。その後の改訂を巡る疑問が解けました」。名曲誕生に秘められた人間ドラマが、激動の歴史から浮かび上がってきた。(中央公論新社、1800円)

     松本良一

    2018年04月03日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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