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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・青山七恵(作家)

    『橋を渡る』 吉田修一著

    自分の「正しさ」の正体

     それが重要なものでも些細ささいなものでも、何か判断を迫られたときにはまず「自分を信じて」行動する、それはなんとなく、良いことだというふうに感じられる。「自分を信じる」という言葉は美しいし、むやみやたらと、力強い。

     本書の三章までに現れる主要登場人物、ビール会社の営業マン、都議会議員の妻、婚約中の報道ディレクターの男もまた、それぞれに自分の正しさを信じて毎日を生きている。しかし2014年に実際に起きた事件と並行して描かれる彼らの日常には、常にざらりとした砂混じりの風が吹いているようだ。メディアは絶え間なく「正しさ」の見本を更新し続け、人々はそれを消費する。外から半ば強制的に与えられ心の弱さを養分にして育っていく正義と、内から弱々しく発芽し外からの攻撃に耐えながら静かに育っていく正義、そんな二つの正義を心に持つ人間が「自分を信じる」と口にするとき、言葉は果たしてどちらの正義に基づいているのか? 揺らぎ続ける登場人物たちを見守るうち、自分が信じていたはずの「正しさ」もまるで実体のない、薄気味悪いもののように思えてきてしまう。

     ところが最後の四章に至ると、その薄気味悪さはほとんど叫び出したいほどの恐怖に変わる。三章までは心に不吉なさざ波を起こしていたものが、ここに来て荒々しく読者の肩をつかみ、強く揺さぶるのだ。あらわにされた時代の「正しさ」はきしみながら崩れ落ち、その砂塵さじんの向こうから、エピローグで語られる登場人物たちの行動が圧倒的な説得力をもって迫ってくる。

     有史以来人類が渡ってきた橋があるとしたら、それぞれの時代の「正しさ」から生じたヒビやゆがみのために、おそらくいつ崩壊してもおかしくないような状態にあるだろう。その橋に致命的な亀裂が走る前に、現代を生きる私たち一人一人が、本書が照らしだすような自分自身の「正しさ」の正体を冷静に見つめ直さなくてはいけないのかもしれない。

     ◇よしだ・しゅういち=1968年、長崎生まれ。作家。著書に『パレード』『悪人』『横道世之介』『怒り』など。

     文芸春秋 1800円

    2016年05月02日 05時28分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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