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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・松山巖(評論家・作家)

    『ボクシングと大東亜』 乗松優著

    成功したスポーツ外交

     本書は七一歳の元東洋フェザー級王者金子繁治が、マニラでフラッシュ・エロルデを記念した賞を受ける話から始まる。古いボクシングファンなら二人の名は覚えていよう。

     著者がこの話から書き出したのは、一九五〇年代に熱狂的に人気となったプロボクシングが、フィリピン外交に影響力を与えたからだ。

     戦前、アメリカ統治下のフィリピンはボクシングが盛んで、来日するボクサーも多かった。だが、日米開戦後、日本に統治され、大戦中に百万人以上の犠牲者を出したため戦後、フィリピン人の多くが日本を敵視した。この関係改善は日本政府の課題だったが、改善を実現したのはプロボクシングの関係者だった。

     元特攻兵で全国の親分衆にも通じたプロモーターの瓦井孝房。彼は東洋のボクシング組織もないのに、フィリピン選手を呼び、東洋選手権と銘打って興業を行う。今一人は鉄道王の小林一三の弟である田辺宗英。田辺は戦前、玄洋社に近い右翼で、戦後は日本ボクシング・コミッションの初代コミッショナーとなり、後楽園ジムの前身を開いた。加えて日本テレビの社長正力松太郎は、人気の高いプロボクシングをテレビ中継し、聴視料のない民間テレビのPR料による経営を実現した。そして総理岸信介は、敗戦後、劣等感を抱く日本人に愛国心を再生しようと、スポーツ外交を推進した。

     瓦井や田辺も、正力や岸も、戦前、大東亜共栄圏という大義のもとに動き、戦後も愛国心を抱き、活動した。では、東洋選手権の「東洋」は「大東亜」の再現になったのか、これが著者の大きなテーマだ。だが、実際には東洋選手権者の数がフィリピン人より日本人が上回った六〇年代中頃、折からの好景気で日本人は世界の「一等国」になったと思い、経済大国へのみちを突き進んだのだ。

     政治とスポーツ。実に今日的なテーマだ。しかも著者は史料読解ばかりか、当時を知る人々に聞き取りまで長い間行った。大変な労作だ。

     ◇のりまつ・すぐる=1977年、愛媛県生まれ。関東学院大兼任講師。専攻はスポーツ社会学など。

     忘羊社 2200円

    2016年08月29日 05時24分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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