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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・納富信留(ギリシャ哲学研究者・東京大教授)

    『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』 青山拓央著

    読者と一緒に考える

     幸福とは何か。誰もが望み、配慮しながら生きている「幸福」への問いに、哲学が向き合います。このテーマをめぐっては古今あらゆる思想家が考えを出し尽くしており、類書も山ほどあるはずだ。そう思って探そうとすると、意外な少なさに驚くことでしょう。無論、人生論や幸福論や名言集のような気の利いた指南書はたくさんあります。でも、それらは哲学ではありません。では、幸福を哲学するとはどういうことでしょう?

     本書はタイムトラベルなど時間の問題を論じてきた分析哲学者が、読者と一緒に「幸福」を考える探求の道筋です。楽しいと感じる快楽、欲求を満たし充足させること、そして誰もが人生の幸せと考える客観的条件、これら三つの要素を考察すると、それらの共振に幸福があると言えるのではないか、著者はそう論じます。現実の世界と可能性の比較、活動、後悔など、幸福というテーマを考える上で必要で有効な概念や思考が踏査されていきます。

     哲学者の議論など抽象的で役に立たないとお思いの方は、随所で紹介されるミュージシャンや棋士らのエピソードに思いがけない特典を享受するでしょう。漫画や小説もいろいろな場面で登場します。他方で、極端な説の主張や断言を慎重に避けながら中庸の精神を示す論述には、思い込み(ドグマ)に陥らない哲学の可能性が示されています。

     本書を読んで「幸福」という言葉が少し違って聞こえるとしたら、それはあなたも哲学をしたということ、人生が変わったということでしょう。私が幸せだと感じるからそれで良いとか、人それぞれだとは、もう言えません。そもそも「幸福である」とか「幸福になる」ということ自体が意味を持つのかどうか。だって、これではない人生はあり得なかったのですから。幸福が突きつける問題は、私たちが生きる慄然とするこの現実を見せる深淵しんえんにあるのかもしれません。

     ◇あおやま・たくお=1975年生まれ。山口大時間学研究所准教授。著書に『新版 タイムトラベルの哲学』。

     太田出版 1600円

    2016年10月31日 05時24分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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