文字サイズ
    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・松山巖(評論家・作家)

    『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ』 梯久美子著

    希有な愛の真実追う

     島尾敏雄の私小説『死のとげ』は、敏雄が愛人との情事を日記に書き、それを妻のミホが見て狂った日から始まる。以後、家事も育児も放棄し、敏雄を裁き続けるミホを記録した長篇ちょうへんだ。

     そのミホに十一年前から取材していた著者は、九年前のミホ没後、ノートなど膨大な新資料も読破し、ミホの生涯を辿たどる。その上で二人の出会いこそが異常な状況下だった点からつづる。

     昭和十九年、敏雄は二十七歳で特攻隊隊長として奄美の加計呂麻かけろま島に赴任。二十五歳のミホは島の国民学校の代用教員。二人は愛し合い、昭和二十年四月以降、毎夜、逢瀬おうせを重ねる。この時期、特攻隊員は命令があれば日本本土のために自死して戦い、またミホら島民も戦闘時には集団自決の覚悟を決めた状況にあった。つまり敏雄は隊長として、国家のために島民をも殺す命を下さねばならぬ立場にいたのだ。

     この事態は敗戦で回避されるが、ミホと結婚し、新進の作家となった敏雄は、彼自身が記す通り〈さばき〉を受けるべきだと悩み、小説が書けなくなる。つまり『死の棘』を書く直前、敏雄は〈審き〉を受け、作家として転機を図る必要があった。ここから著者は新資料を解読し、二人を知る人々、愛人の知人にも取材もする。加えて『死の棘』発表時に、書かれた様々な批評や発言も検討し、『死の棘』の真実に迫りつつ、新たな疑問を投げかけたのが本書である。

     もしかすれば、作家として転機を得るために敏雄は愛人を作り、浮気を仕掛け、わざと日記を広げ、ミホに見せ、〈審き〉を受けるつもりだったのでは。一方、ミホは敏雄の思いも、愛人のことも知りつつ、敏雄の思い通り一気に狂い、夫に〈審き〉を下し続けたのでは……。

     とはいえ著者は、これらの疑問を正当化し、自分なりの物語を綴ったわけではない。むしろ幾つもの疑問を読者に提示し、敏雄とミホの希有けうな愛の姿を描いたのだ。ノンフィクション作家としての矜持きょうじも強く感じる秀作である。

     ◇かけはし・くみこ=1961年、熊本県生まれ。『散るぞ悲しき』で大宅壮一ノンフィクション賞。

     新潮社 3000円

    2016年12月19日 05時27分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    大手町モールのおすすめ
    帆布鞄
    リンク