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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・伊藤亜紗(美学者・東京工業大准教授)

    『対面的 〈見つめ合い〉の人間学』 大浦康介著

    他者の生に向き合う

     こんなにドキドキする哲学的な本は珍しい。その理由は、筆者がまさに「対面的」に書いているからだ。本がテーマを実践している。

     誰かと向き合い、見つめ合ったとき、私たちはその「磁場」のようなものに捉えられる。この磁場は、一方では倫理的なものだ。人は、見つめ合う相手を物のように扱うことはできない。ボクサーが対面しながら殴り合うのは、抑制が働くからだと著者は言う。対面がフェア・プレイを下支えしている。

     他方で見つめ合うことは、私たちの中の動物的な生を呼び覚ますトリガーにもなる。見つめ合うと緊張するのは、相手が何をするか分からず、場の制御が不能になるからだ。挨拶あいさつを交わすときのような儀礼性が剥ぎ取られ、ひとつの生き物としての予測不可能性がむき出しになる。そこで人は、ゴリラがそうするように、顔の表情や、場合によっては全身の姿勢から、相手の意思を読み取ろうとするだろう。

     本書が対面的だと言うのも、まさに「生き物が書いている」としか言いようがない筆運びのライブ感があるからだ。全体は73の断章から成るが、決闘、キス、ひきこもり、犬、ツイッターとさまざまなモチーフを捉えては一気に深く潜る。哲学が参照されたかと思えば動物行動学に話は移り、文学や人類学も援用される。しかし散漫さとは無縁で、あの断章の次にこの断章があってこそ生まれる意味が彫り出され、かと思えば日記のような筆者の気づきが不意に挿入されたりする。

     確かに「対面」は、時代に逆行するテーマだ。いまや私たちは、ネットワークに媒介された、匿名でさえありうる時代に生きているのだから。思うに、「匿名」の対義語は「実名」ではないのではないか。失われつつあるのは、むしろ著者の言う「無名」レベルの交わりだ。対面的な場においては、社会的な役割や肩書きは無化され、人は他者の生そのものに向き合うのだ。

     ◇おおうら・やすすけ=1951年生まれ。京都大教授。専門は文学・表象理論など。著書に『誘惑論・実践篇』。

     筑摩書房 2900円

    2017年03月06日 05時26分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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