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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・奈良岡聰智(政治史学者・京都大教授)

    『多田駿伝』 岩井秀一郎著

    日中戦線、不拡大訴え

     満州事変の首謀者の一人・石原莞爾かんじ。彼はその後、日中戦争勃発ぼっぱつ時に、参謀本部作戦部長として戦線拡大に反対した。参謀本部というと、「統帥権」を振りかざして大陸への侵攻を主導したというイメージが強いが、この時は違った。当時は陸軍省の方が強硬であり、参謀本部内には戦争「不拡大派」が存在したのである。

     「不拡大派」最大のキーパーソンと目されるのが、多田駿はやお参謀次長である。多田は石原の盟友で、戦争勃発の翌月に次長に就任した。当時参謀総長が皇族だったこともあり、次長の役割は大きかった。多田は、和平工作に力を入れ、大本営政府連絡会議で戦争不拡大を主張するなど、奮闘した。しかし、政府の強硬姿勢を止めることはできず、かの「近衛このえ声明」が出され、日中は全面戦争に突入することになった。

     多田の知名度は高くないが、その存在は研究者の間では注目されてきた。筒井清忠氏は、近著の中で、昭和一〇年代の陸軍史はいまだ不十分であり、「多田駿の研究などから地道に始めるべき」と指摘している(『昭和史講義2』ちくま新書)。しかし、まとまった一次史料がなかったため、研究は従来ほとんど皆無であった。このような中で、著者は遺族のもとに残されていた日記、手記などを活用し、多田の初めての本格的評伝となる本書をまとめた。本書により、日中戦争拡大の経緯がより詳しく明らかになった。昭和史研究にとって待望の書である。

     日本人は誤った優越感を捨てるべきだと主張するなど、多田が透徹した中国観を持っていたと指摘されている。阿部信行内閣で陸相候補に挙げられながら、就任が幻に終わった経緯の分析も興味深い。背景には東條英機との対立があったが、皮肉なことに、戦争不拡大を望んでいたはずの昭和天皇の意向も働いていたのだという。戦争の早期終結を望む勢力が一つにまとまれなかった悲劇を象徴するエピソードであり、「歴史のイフ」を考えさせられる。

     ◇いわい・しゅういちろう=1986年長野県生まれ。日大卒業後、在野で昭和史などの研究を続けている。

     小学館 1700円

    2017年04月17日 05時24分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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