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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・伊藤亜紗(美学者・東京工業大准教授)

    『勉強の哲学』 千葉雅也著

    今のノリを脱して変身

     かくも大胆かつ明晰めいせき、それでいてやわらかく信念のこもった思考はまるでダンスだ。一瞬、哲学書らしからぬ「改行の多用」と「ゴシックによる強調」にとまどう。しかし実にリズミカルに言葉が、読む者の心にインストールされていくのだ。「粘り強さ」だけが思考じゃない。

     勉強論の形を借りた変身論である。なぜ「勉強」が「変身」なのか。勉強とは「あるノリから別のノリへ引っ越すこと」だと著者は言う。人は、会社なり学校なりの特定の環境において、その環境のお約束にしたがって、つまり「ノって」生きている。勉強とは、そこから抜け出して別の発想や別の振る舞い方、つまり別のノリを獲得することだ。新しいノリを知ってしまったら、もうかつてのノリには戻れない。つまり勉強には自己破壊がつきものなのだ。だからそれは「成長」ではない。「変身」なのだ。

     しかし現状を俯瞰ふかんせよというメタ的・批判的な姿勢だけを本書は推奨するわけではない。次々と新しいノリを獲得する旅を続けていると、いつかは「ああも言えるし、こうも言えるけど、でもそうでもあって…」と相対主義の海におぼれてしまう。だからこそ重要なのが「享楽」だ。享楽とは、自分だけの深いこだわりのこと。たとえば著者は、幼少期に外科医に憧れていたという。そこに「人助け」のような分かりやすい正義があったわけではない。多様な臓器が、「36色入りサインペン」のように人体のなかにぴったり収まっている感覚にかれていたのだ。人は案外、そんな放縦ほうしょうで無根拠な享楽にこそ突き動かされて生きるものである。

     こうした享楽のポイントは不変ではなく、勉強の過程で深化・変化していくだろう。著者もやがてドゥルーズという哲学者に出会い、「多様性」をめぐる思考を展開していく。ここにこそ深い意味での「変身」がある。本書は単なる勉強論であることを超えてWell‐being(よく生きること)の指針を示すものであるだろう。

     ◇ちば・まさや=1978年生まれ。立命館大准教授。フランス現代思想と、美術や文学を連関させて研究する。

    文芸春秋 1400円

    2017年05月08日 05時28分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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