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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・納富信留(ギリシャ哲学研究者・東京大教授)

    『中動態の世界 意志と責任の考古学』 國分功一郎著

    新たな思考の可能性

     副題から入ろう。私たちは強い意志を持って行動し、その責任を取る自己を求められる。だが、私たちが生きる世界はそれほど明確に成り立っているわけではなく、私はそれほど自由な主体ではないのではないか。なにか息苦しく、言葉が違うように感じてしまう。この違和感は、思考の可能性を過去に遡って検討する哲学の考古学が解明してくれるはずだ。

     解明の鍵は「中動態」にある。古典ギリシア語の文法では能動態・受動態と並ぶもう一つの態があり、例えば「打つ」と「打たれる」の中間には「自らの胸を打つ」があって哀悼などの状態を示す。日本語の「しのばれる」といった自発の表現に対応する。中動態は言語学的にはおそらくより先にあったものだが、そこから受動態が分かれ出てやがて形態としては消えてしまった。著者は、言語学者バンヴェニストらの研究を活用しながら、この失われた言語の「態」とそれが可能にする思考を発掘していく。

     言語学の知見は、私たちのものの見方にどんな光を当ててくれるのか。古代ギリシアに「意志」という概念はなかった。中動態の動詞「生まれる、望む、思われる、現れる」は、自由な意志による主体的な行為ではない。能動と受動の対で割り切ろうとする思考が抑圧した可能性が明らかにされる。スピノザを読み解き、ハイデッガー、アレント、ドゥルーズ、デリダ、アガンベンらを批判的に検討しながら、著者は彼らがこだわった中動態の哲学的意義を論じ、読者を新しい思考へといざなう。

     シリーズ「ケアをひらく」の一冊に入った本書で、看護が正面から論じられる場面はほとんどない。だが、私たちが生きる現場を根底から見据える視点を、哲学から与えてくれる。私たちが生きているのは、自己の責任だけでは割り切れない、出来事がおのずから現れる、そんな自由な、中動態の世界なのかもしれない。

     ◇こくぶん・こういちろう=1974年生まれ。高崎経済大准教授(哲学)。著書に『スピノザの方法』『ドゥルーズの哲学原理』など。

     医学書院 2000円

    2017年05月15日 05時23分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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