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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・旦敬介(作家・翻訳家・明治大教授)

    『世界と僕のあいだに』 タナハシ・コーツ著

    暴力や人種差別と対峙

     現代のアメリカ合衆国において、アフリカン・アメリカンの、つまりいわゆる黒人の、とくに男性が、どのような意識をもって社会と対峙たいじして生きていくことを強いられているのか、驚くべき率直なもの言いで語った本である。十四歳の息子に語りかけるという体裁をとって、極度に不利なゲットー環境の中で著者がいかにして自己形成することになったのか、情熱と怒りをこめて、しかしきわめて明晰めいせきに、丁寧に説いていく文体が魅力的だ。

     内容はやはり衝撃的と言わざるをえない。たとえば、ワシントンDC郊外出身の著者にとって、十一歳のころの最大の関心事とは、自分の肉体を生きたまま一日の終わりまで無事に運んでいくことだったという。それほど、黒人男性の肉体を「略奪」しようと構えている警察のみならずギャングの暴力性が人生を支配していたのだ。公立学校も抑圧装置となり、しかもそこで教えられている歴史や民主的な価値などは、学校の外の現実とはまるで一致しない絵空事に見えて真に受けていられない。家庭もまた困難だ。警察に痛めつけられる前にしつけるという理屈で、虐待に近い体罰が当たり前だ。

     相互に関連しあったこのような生のありようが、奴隷制以来、米国を支配してきた暴力的かつ人種差別的な社会のなりたちに由来すると著者は分析する。一方で、ここに描かれるいわゆる黒人大学の様子には目を開かれ心を洗われるような気がした。そこには全米だけでなく世界各地から多様な背景をもった黒人系の学生たちが集まっていて、米国の一般的現実からは切り離されたコスモポリタンな、平等な世界ができあがっている。それが著者にとっても視野の拡大と価値観の解放をもたらした。

     危険な年代に入っている息子に対する過酷な心配と助言には何度も胸が締めつけられた。現在の米国黒人社会を代表する言論人と目されるだけの強度をもった書き手だ。池田年穂訳。

     ◇Ta‐Nehisi Coates=1975年米国生まれ。作家、ジャーナリスト、教育者。本書で全米図書賞などを受賞。

     慶応義塾大学出版会 2400円

    2017年05月22日 05時26分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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