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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・伊藤亜紗(美学者・東京工業大准教授)

    『痛みと感情のイギリス史』 伊東剛史、後藤はる美編

    身体観や宗教観の産物

     痛みの歴史? 痛みを神経生理学的な現象ととらえるなら、その「歴史」を問うのは確かに奇妙だ。しかし人類は決して、古代から同じように痛みを感じてきたわけではない。中世の病人、あるいはルネサンス期の敬虔けいけんなプロテスタントは、私たちとは全く異なる仕方で痛みを経験していたのである。本書はイギリスに焦点をしぼり、痛みがいかにその時代の身体観や宗教観、あるいは社会制度の産物であるかを鮮やかに描き出してみせた快作である。

     たとえば現代では、当たり前のように「頭がきりきり痛い」や「足がじくじく痛む」といった言い方をする。痛みにいわば耳をすませ、取るべき対処法を聞き取ろうとするのだ。しかし十八世紀頃までは、痛みの部位や質に注意を払うという発想がそもそもなかった。西洋では病の原因を全身的なバランスの乱れに求める四体液説が支配的だったため、痛みもまた全身的なものと理解されていたのである。現在のような痛みの感じ方が生まれるのは、新しい解剖学の登場以降だ。死体解剖で見つかった「病巣」と臨床上の「痛み」が関連づけられ、局在論・機械論的な身体観が広まったのである。

     あるいは十六、七世紀のプロテスタントにとっての痛み。彼らの日記を読むと、自らの痛みを身体に生じた内発的な出来事ではなく、神という外部にある超自然的な存在からの働きかけとして理解していたことが分かる。それゆえ、痛みを癒す営みは、個人の身体という枠組みを超えて作用するものであった。私が痛みを克服することが、近隣共同体を、ひいては世界そのものを救済することになると考えられていたのである。

     他者の痛みを知ること。「共感」とは実は思うほど生易しいものではなく、その人の生の文脈を丁寧に掘り起こしてようやくアプローチできるものなのだ。歴史的な視点を離れて、現代の痛みのケアにとっても重要な示唆だろう。

     ◇いとう・たかし=東京外国語大准教授(ヨーロッパ史など)。◇ごとう・はるみ=東洋大講師(イギリス近世史など)。

     東京外国語大学出版会 2600円

    2017年05月29日 05時23分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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