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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・伊藤亜紗(美学者・東京工業大准教授)

    『人間はなぜ歌うのか?』 ジョーゼフ・ジョルダーニア著

    敵への威嚇行動、起源?

     人間は騒がしい生き物だ。チンパンジーであれば、じゃれあって遊ぶときでさえ、大声で笑ったり互いに呼び合ったりはしない。鳥などのように樹上を自在に逃げ回ることができない限り、音を立てることは、肉食獣にわざわざ自分の居場所を知らせる自殺行為に等しい。「沈黙は金」の地上で、人間だけが例外的に、進化の昔から音を出し続けてきたのである。

     いったいなぜ人間はそんな危険を冒すようになったのか? 著者は、人間が文節言語を獲得する以前、つまり声で歌っていた頃にまで遡ってその答えを探す。音楽の起源と進化をめぐる、超人類史的かつ全地球規模の探求の始まりだ。

     著者は、歌はポリフォニー(多声音楽)から始まった、と主張する。モノフォニー(単旋律音楽)が組み合わさってポリフォニーになったと考えがちだが、歴史的な事例を辿たどると各地でポリフォニー文化の消滅が起こっているからだ。

     ではそのポリフォニーを、今から五〇〇万年前の人類はなぜ歌っていたのか。著者は大胆にも、「戦うため」ではないかと言う。速く走る脚力も鋭い牙もない人間は、身体能力的には圧倒的な弱者だ。ライオンのような肉食獣に追い詰められることも多々あったろう。そんなとき我々の祖先はどうしたか。著者の仮説はこうだ。リズムに合わせて大声で歌い、地面をふみ鳴らしながら、集団的トランスのような状態を作り出すことで、敵を脅かしたのではないか。そう、猫が背中を膨らませて毛を逆立てシューッとうなるのと同じ、視覚的・聴覚的な威嚇行動として歌を利用したのだ。確かに今でも我々は、野良犬を「シッシッ」と追い払ったりする。

     こうした音楽の起源と進化をたどりながら、著者は無数の魅力的な問いの種をいていく。「なぜ、すべての言語で質問形は語尾を上げるのか」。「なぜ、言語によって吃音きつおんの発症率が異なるのか」。我々とは何か、新しい視点から悩ませてくれる一冊である。森田稔訳。

    Joseph Jordania=1954年ジョージア生まれ。現在はオーストラリア在住でメルボルン大教授。

     アルク出版 2900円

    2017年06月12日 05時24分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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