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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・稲泉連(ノンフィクションライター)

    『ホサナ』 町田康著

    不条理の先、重なる現実

     強烈な小説だ。『告白』から『宿屋めぐり』へと続いた著者・町田康の過去の長編作品と同様、本書もまた、一人の男が不条理に満ちた世界を彷徨さまよい進む“巡礼の物語”である。

     親の遺産で何不自由なく暮らす主人公が、愛犬家の集まりに犬を連れていくシーンから物語は始まる。そこで冷めた肉が皿に山盛りになって残るようなちぐはぐなバーベキューを行った後、栄光という名の〈光の柱〉が降り注ぎ、参加者は次々に消滅してしまう。

     だが、その決定的かと思われた終末は一度「なかったこと」にされ、次の瞬間に主人公は蒸しずしを白ワインとともに食べている。〈日本くるぶし〉と名乗る天の声に、正しいバーベキューをせよ、と命じられたままに――。

     『宿屋めぐり』で〈白いくにゅくにゅ〉に吸い込まれた男が、偽の世界から正しい世界に戻ろうとしたように、本書の主人公はどこかうそくさい人々に翻弄、精神的に蹂躙じゅうりんされながら、正しさとは何かという問いにもだえていく。

     町田康の長編の凄味すごみは、そうして描かれる不条理でゆがんだ世界が、次第に私たちの生きる現実と重なっていくことだ。社会の欺瞞ぎまんや嘘、矛盾に目を向けないでいる日常が、結果的にどのような代償を支払わされるか。その構造を描こうとしたとおぼしき作家の企てに、あらためて圧倒されるほどの才気を感じた。

     タイトルの「ホサナ」とは、聖書に記された「救いたまえ」という意味のヘブライ語だという。

     光の柱、しゃべる犬、怨念の化身のような毒虫の群れ、そして、腐り重なって行く手を阻む〈ひょっとこ〉たち……。

     この滅茶苦茶めちゃくちゃな世界を進む男は〈抜け作〉になることで大いなる何かに身を任せようとするが、果たしてその試みはどこへ向かうのか。700ページ近い物語を一気に読み終えたとき、世界の果てのごとき場所に遠ざかっていく彼らを見送りながら、ただただ茫然ぼうぜんとするしかなかった。

     ◇まちだ・こう=1962年生まれ。『きれぎれ』で芥川賞。『告白』で谷崎潤一郎賞。『宿屋めぐり』で野間文芸賞。

     講談社 2200円

    2017年06月19日 05時26分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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