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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・安藤宏(国文学者・東京大教授)

    『あの頃 単行本未収録エッセイ集』 武田百合子著

     著者は若き日に神田の文士バーに勤め、武田泰淳と知り合い、結ばれた。彼との生活をつづった『富士日記』(一九七七年)で田村俊子賞を受賞、一躍エッセイストとして名をせることになる。実はすでに『武田百合子全作品』全七巻が刊行されているので、逸文集、という軽い気持ちで本書を手に取ったのだが、予測はいい意味で裏切られた。

     やはり心に残るのは、戦後派の作家たちの生き生きとした面影である。夫、泰淳の古武士的な風貌は無論のこと、開高健の愚直な誠意、吉行淳之介の生真面目な表情、そのほか椎名麟三、梅崎春生、竹内好、原民喜等々、出てくる文士たちの面影は、なんとその喜怒哀楽が鮮明で魅力的であることか。本書を読んでいると、死んでしまった人間はたいしたものだ、なぜああはっきりと、しっかりとしてくるのだろう、という小林秀雄の名言(「無常という事」)を思い出す。人物に限らず、生活のディテールを大切にし、個々の記憶の輪郭が鮮明であることはすぐれたエッセイに共通する特色なのだと思う。編集に携われた方々の労を多としたい。

     中央公論新社 2800円

    2017年06月19日 05時21分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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